第1話 非日常へ

文字数 4,426文字

 春の日の朝、石川健太(いしかわ けんた)たち七宝町立七宝中学校(しっぽうちょうりつしっぽうちゅうがっこう)の三年生は、職場体験の目的で(となり)九能市(くのうし)へと向かう大型バスの道中にいた。

「スーパーコンピューター、ヤルダ・バオトを搭載した惑星探査機あらたかは、地球の引力圏を抜け、順調に金星の軌道に乗った、か……」

 石川健太(いしかわ けんた)はタブレット端末を手に、インターネットのニュースサイトで大好きな科学ニュースのページに見入っていた。

 彼は科学オリンピックの出場を控えた、好奇心旺盛な少年だった。

「健太くん、なになに、なに見てるの?」

 真後ろの席に座っていたクラスメイトの萩野美羽(はぎの みう)が、座席のシートにもたれかかって話しかけてきた。

「科学ニュースを見ていたんだよ、美羽さん。ヤルダ・バオトの航海(・・)は順調なようだよ」

「わあ、すごい! おめでとう、健太くん!」

 彼女は読書好きの物知りな子で、いつも健太のする科学の話題を興味深そうに聴いてくれていた。

「別に健太が打ち上げたわけじゃないだろ、美羽」

 美羽とは隣の席の畑谷夏希(はたや なつき)のからかう声が、後部座席から聞こえてきた。

「何を言っているの夏希! これはレキシテキなカイキョなのよ!」

「声が震えてるぞ、美羽」

 夏希は呆れた口調で答えた。

 彼女は運動が得意で、とても気の強い子だ。

 なんでも、空手の有段者らしい。

「ヤルダ・バオトって、地球の文明のレベルを示すために、あらたかに搭載されたんですよね? でも、そもそも、地球外生命体なんて存在するんでしょうか?」

 健太の前の座席の沼田正彦(ぬまた まさひこ)が、シートから顔を出してたずねてきた。

「ぼくはいると見ているね。スティーブン・ホーキング博士の学説にしたがうならだけど」

「ホーキングって、スニーカーのブランドじゃなかったっけか?」

 今度は正彦の隣の岩子元気(いわこ げんき)が、体をひねって話題に食いついてきた。

 元気と正彦はちょうどドラえもんのジャイアンとスネ夫のような立ち位置で、一見まったく違うキャラクターなのだけれど、とても相性がよく、馬が合っていた。

「元気くん、それはホーキンスですよ。スティーブン・ホーキングとは……」

「英ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、ヘンリー・ルーカス記念講座教授の宇宙物理学者」

 健太の隣の席の宇藤翔(うとう かける)がつぶやいた。

「そう、それです!」

「ふーん、呪文みたいな肩書きだなあ」

 正彦はポンと手をついたが、元気は難しい顔をしている。

 翔は健太たちが二年生のときに都会から転校してきた子だ。

 普段は物静かだが、教養があり知性的で、どこか神秘的な存在でもあった。

「ルーカス記念講座の教授には、歴史に名だたる科学者たちが名を連ねているんだよ。電気と磁気を統合したジェームズ・マックスウェル、コンピューターの父と呼ばれるチャールズ・バベッジ、反物質を発見したポール・ディラック……」

「もちろん、健太くんの尊敬するアイザック・ニュートンもね」

 得意げに語っていた健太に、翔が一言そえてくれた。

「ニュートンといえば、リンゴが木から落ちるのを見て、万有引力の法則を発見した人ですよね?」

「それくらいオレでも知ってるぞー」

 正彦と元気はまたコミカルなやり取りをはじめた。

「万有引力の法則の発見は、ニュートンのいわゆる三大功績の一つだね。あと二つは微分積分法の発見と、光のプリズムの発見だよ」

「び、びぶん……難しそうだわ……」

「微分積分は、物体の運動を調べるのに、とても有益な数学的な手法なんだ」

「名前はなんとなく知っているけど、さっぱりわからないわー」

 健太はつい、また得意げに語ってしまった。

 美羽はいかにも難しそうな顔をしている。

「プリズムっていうのは、ニュートン・リングのことなのか?」

「くわしいね、夏希さん」

「あたしも名前しか知らないけどなー」

 夏希の問いかけに、健太はちょっと興奮した。

「万有引力は『法則』ではなく、『定理』だとニュートンは考えていたらしいね。事実、ニュートンの運動の三法則の中に、万有引力は含まれていない」

「さすが翔くん!」

 翔の的確な指摘に、健太は思わずうなってしまった。

「健太くんと翔くんは、本当に気が合いますよねえ」

 正彦は不思議そうな顔をした。

「オレらは違うのか、正彦?」

 元気がからかった。

「それをいうなら、わたしと夏希だって!」

 美羽はなぜかムキになっている。

「お前ら、いい加減にしろよー」

 夏希はあきれ顔だ。

 こんな風に彼らは、和気あいあいと談笑していた。

「はいはい、あなたたち、うちわもめはその辺にしておきなさい。先生、やいちゃうわよー」

 担任の大沢(おおさわ)先生が、彼らのやりとりに割って入ってきた。

「先生、これは大事なうちわもめなんです!」

「わけがわからないぞ、美羽」

 美羽の言葉に夏希はあきれた。

「オレらの青春をいじくりまわさないでくれよ、先生」

「それをいうなら『踏みにじらないで』だと思いますよ、元気くん」

 元気のかわいらしい言い間違いに、正彦は冷静なつっこみを入れた。

「つべこべ抜かすと、先生みたいなつまらない大人になっちゃうわよー」

「自虐的ですね、先生」

 堂々と言う先生に、健太は冷や汗をかいた。

「先生もさぞおつらいでしょう」

 翔は大人の対応をした。

「ううっ、ありがとう……って、先生が言いたかったのは、そういうことじゃなくてね。ほら、目的地が見えてきたわよー」

 大沢先生が指す方向に一同が目をやると、健太たち六人の班が見学をする火力発電所の、天を貫くような巨大な施設が見えてきていた。

「先生が引率するから、てきぱき見学するのよー」

「はーい」

 バスがメインの建物の入り口の横に着き、彼ら六人と大沢先生は降り立った。

「ようこそ、七宝中学校のみなさん!」

 かっぷくのよい作業着をまとったおじさんが、元気な声でみんなにあいさつしてくれた。

「本日みなさんの案内をさせてもらう、田中(たなか)といいます。よろしくお願いします!」

「よろしくお願いしまーす!」

「うんうん、元気でよいですね。ではさっそく、発電所の中を案内します。はりきっていきましょう!」

「はーい!」

 健太たちは田中さんの案内のもと、火力発電所内の各施設を見学してまわった。

 発電の仕組みを聞いたり、動力であるタービンの巨大さに驚いたり、各部所で仕事に従事する職員さんの話を聞いたり……

 どれもこれもが科学好きの健太には新鮮で面白く、あちこちで質問を連発した。

 田中さんをはじめ職員さんたちは、彼の質問ににこにこしながら丁寧に答えてくれた。

 そして楽しい時間はあっという間に過ぎ、最後に一同は発電所に併設されたエネルギー科学館にたどり着いた。

「ここが最後の場所ですよ。ここではエネルギーの歴史に関する資料を展示しています」

 田中さんがそう告げたとき、

「主任、ちょっと……」

 別の職員さんが彼を呼びとめた。

「うん、どうしたー?」

「計測器が妙な数値をはじき出したらしいんですけど、ちょっと見にきてもらえませんかね?」

「おう、わかった。すぐに行く」

「何かトラブルですか?」

 大沢先生は少し不安げだ。

「なになに、たまにあるんですよ。電磁波とかの関係でして。すぐに戻りますんで、先生」

「了解しました。この場はわたしが……」

 そうして田中さんがその場を去ったのもつかの間、

「大沢先生、学校の教務課の方から、至急とりつないでほしいとのお電話があるんです。申し訳ありませんが、フロントのほうまで来ていただけませんか?」

 今度は受付の女性が話しかけてきた。

「え、いったいなんでしょう? わかりました、すぐにうかがいます」

「おいおい、いったい何なんだよ」

 元気は奇妙な事態に驚いている。

「うーん、先生もすぐに戻るから、あなたたち、絶対にここを動いてはだめよー」

「は、はい……」

 あとに残された健太たち六人は、突然のことに少しの間ポカンとしていた。

「よくわからないけど、このスペースをゆっくり見学していようよ」

 みんなを落ち着かせるつもりで、彼はそう提案した。

「そうだよ。迷子にでもなったわけじゃないんだからさ」

 夏希がうまい具合にフォローしてくれた。

 一同はいくらか冷静になって、目の前の展示物をながめたが、再び不安な気持ちになってしまった。

 そこに展示されていたのは、人類の負の遺産。

 戦争に使用された、おそろしい破壊兵器の数々に関する資料だったからだ。

 彼らは言葉を失った。

 そしてしばらくの間、金縛りにあったように動けなくなった。

「なんというものを作ってしまったのかのう」

 突然響いた声が沈黙を破った。

 健太たちがびっくりして声のほうに視線を移すと、全身黒づくめの服装で杖を握る一人の紳士が、展示されている資料を静かに見つめていた。

 声質と雰囲気から、かなり年配であることはわかるのだが、帽子を目深(まぶか)にかぶっており、顔まではうまく把握できなかった。

 ただ、服装とは対照的な白く濃い口ひげが、とても強い印象を与えた。

「科学というものは、ろくなもんじゃないのう。結局、人を殺すための道具じゃからなあ」

 その言葉に健太は、(がら)になくカチンときた。

 そして空気も読まずに、その老紳士に反論した。

「待ってください。確かに科学は、悪いことに使われることもありますが、人類がここまで豊かな生活を送れるようになったのも、やはり科学のおかげじゃないですか!」

「豊かな生活? そのためなら、多少は人殺しもオーケーというわけかの?」

「それは……人類がこれから、答えを出していかなければならない問題で……」

「ほう、そうか。では、出してもらおうかの、その『答え』とやらを」

「え……?」

 その瞬間、地の底からわいてくるような地響きと、大きな揺れが一同を襲った。

「なっ、なんですか……!?」

「じっ、地震かよっ……!?」

 正彦と元気はあわてふためいた。

 思考する余裕すら与えないほどの、激しい地鳴りと揺れ。

 美羽の泣き叫ぶ声すら、かき消すかのようだった。

   *

 どれくらい時間が経ったのか。

 地鳴りと揺れはいつしか収まり、健太たちは瓦礫(がれき)の中に閉じ込められてしまったようだった。

「おい、みんな大丈夫か!?」

 元気の叫ぶ声が聞こえた。

「ぼ、ぼくはなんとか……」

 正彦は息も切れ切れに答えた。

「美羽、しっかりしろ!」

「ううっ、わたしもなんとか……」

 夏希の呼びかけに美羽が返答した。

「翔くん、翔くんは!?」

 健太は叫んだ。

「僕ならここだよ」

 果たして、翔も生存していた。

「はーっ、よかった~。どうやらみんな、命は大丈夫なようだね」

 健太はようやく安堵(あんど)した。

「それより、この瓦礫をどけねーとよ」

 元気は必死で岩の(かたまり)をどけようとしている。

「そんなこと言ってもですね」

 正彦は困惑している。

「あそこに光が見えるよ」

「えっ!」

 翔が合図すると、確かに瓦礫の隙間(すきま)から、一筋(ひとすじ)の光が差しこんでいる。

「よっしゃ、オレに任せとけ」

「みんな、手伝いましょう!」

 彼らはなんとか瓦礫の山をこじ開けた。

 そして眼前(がんぜん)に広がった光景に、愕然(がくぜん)とした。

「これは、砂漠……」
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