愛おしき彼女の愛という守護(3)

文字数 9,300文字

 問題。
 いかにして崇道雅緋を見つけ出すか?
 あるいはいかにして彼に出くわすか?
 そして、いかにして彼を殺すか?
 装備が揃った今、問題はこれだけとなる。すごく厄介だ。
「やっぱりもう一度リネーマーさんに会うべきだと思う?」蜂蜜を舐めながら零以が提案をする。
「それはごめんだな」ある程度の行動パターンを読まれてしまっているので、できれば彼らの世話になることは避けたい。俺達の逃げた先に彼らはいたし、逃げ切ることが出来たのも、ひとえに俺の能力を勘違いしていたからに過ぎない。頭のいい彼らは必ず学習する。そうして先回りを繰り返すに違いない。敵は崇道雅緋だけで十分だ。
 リネーマーは確か、崇道雅緋についてこう言った。
 一家殺害事件の犯人だと。
 一家殺害事件……俺達がニュースをろくに見ないもんだからこの事件について何も知らない。崇道雅緋本人を探す前に、この殺害事件について最低限知っておく必要があるような気がしてきた。
「本当に何も知らないの?」とディグロは訊いてくる。ああそうさ、俺たちは本当に何も知らない。外の世界に関心を全く示さないツケが今になって周ってきたって感じだ。くだらないツケではあるが、依頼を達成するには必要だ。
 とりあえずインターネットで検索をする。崇道雅緋。何万件もヒットする。よほどの有名人らしいな、かのシリアルキラーは。
 検索結果の一番上にやってきたニュースを見る。『悲劇の家族』。トラジディ。ファミリー。センセーショナルな記事のタイトルに見えて、その実内容がわからない。俺は記事を読む。
 内容はこうだ。

 ・被害者は久川家の住人。
 ・町内会の回覧板を届けに来た隣家の住人が発見し通報。
 ・久川家は六人家族。
 ・父と母、息子と娘が二人ずつで、四人兄弟は一人だけ成人済み。
 ・一人につき身体に十二箇所の刺し傷。
 ・血の海となったリビングの中に六人全員の遺体があり、机には食べかけの夕飯。
 ・彼ら全員が殺された。

 つまり殺した犯人は久川家の人間でもなんでもなくて、崇道雅緋は久川家の人間ではない。そして名前自体が偽名ではあるにせよ、久川家に七人目はいないということがわかる。
 血縁関係は……どうだろうか?
 捜査線上に名前が挙がって大々的に報道されるまでの経緯はこの記事には書かれていなかった。
 別の記事を見る。
 内容はこうだ。

 ・事件発生翌日、第一発見者である隣家の住人は玄関先で回覧板を届けに行くが何も反応がないことを不審に思い、庭からリビングを覗きそこで惨状を目の当たりに。
 ・第一発見者や周辺の住民によると、「悲鳴は一切聞いていない。六人が一堂に集う夕食の場で殺人が起きれば確実に誰かが悲鳴をあげるはずだ」と。
 ・事件前夜、不審者の目撃情報は無し。
 ・事件当日、「血塗れの男がうろついている」と通報が数件。
 ・「血塗れの男」は事件現場からそう遠くない場所で目撃されている。
 ・前述の理由から警察は「血塗れの男」を捜査線上に挙げる。
 ・警察は「血塗れの男」を見ていない。彼が歩いた際に残していったとされる血の跡のみ確認。血の跡は途中で完全に途切れていた。

 崇道雅緋は男なのだろうか。この血塗れの男が崇道雅緋だとすればそうなる。これはディグロが知らなかった情報だ。おそらくは彼がこの街に逃げ込んでくる最中に出てきた新しい情報なのだろう。
 おまけにもう一つ。これは今日の記事。

 ・商業ビルの一階にて多数の死体が発見された。
 ・被害者は全員ビルの清掃業者の人間。
 ・監視カメラの映像には、容疑者が清掃員を次々と殺害する様子が残っている。
 ・容疑者は帽子を深くかぶっており、顔は見えない。
 ・全ての遺体の十二箇所に刺し傷。 
 ・前述の理由から、警察は容疑者を久川家殺害事件とも関連付けて捜査を開始。
 ・近隣住民の話によって、容疑者の名前が「崇道雅緋」であると判明。

 気になる点はいくつかある。
 まず、崇道雅緋という名前について。この近隣住民の正体は恐らくリネーマーの連中か。名付けたのは自分たちだと豪語していたっけ。
 外部の記者に情報を流しているとは思いもしなかった。あくまでもこの街の中で情報を飛ばして遊んでいるものだとてっきり。この街の中で生まれた情報を外部に流してもいいんだったか……いや、この場合はビルの中で起きた出来事について言っているのだからいいのか。
「崇道雅緋の本当の名前はなんだろうか?」という疑問が生まれてくるのは自然だろう。その「近隣住民」がなぜ彼の名前を崇道雅緋だと知っていたのかについては、この記事には何も書かれていない。その点を気にする人間はいるはずだ。少なくともここにいる。
 もう一つは被害者が全員清掃業者の人間だったということだ。
 ディグロの言っていた、「いくつもの自分の死体」が発見されていない。
「どういうことだ?」俺はディグロに訊く。
「多分消えたんだ。死体はいつまでも転がってるわけじゃない。発見されたのがいつなのかにもよるけど、多分僕の死体はもう消えてなくなってたんじゃないかな」なるほど。
 記事を読んできた限りだと、久川一家殺人事件の犯人が崇道雅緋である確証はない。十二箇所の刺し傷があるとはいえ、この情報がニュースとして発信されている以上、模倣犯の可能性もある。
 ただ、リネーマーはあの時、崇道雅緋の写った写真を見て「一家殺人事件の犯人だ」と言った。警察にもそのように言ったのかどうかはわからない。ただ、「崇道雅緋」という名前を考案したのはリネーマーである。そのリネーマーは、ビルでの清掃員殺害事件の犯人に「崇道雅緋」と名前をつけた。
 つまり久川一家殺人事件とディグロが遭遇した惨殺事件を最初から結びつけていたことになる。彼らが一体どの時点で十二箇所の刺し傷を知ったのかによって話は変わってくるだろうが、少なくともこの報道がされるより以前の話であることは間違いない。
 ともかく、「崇道雅緋」という名前は、この街を飛び出して久川家まで飛んでいき、一方で当の崇道雅緋は久川家を飛び出してこの街にやってきた。何とも変な話だ。
 監視カメラに写る崇道雅緋の写真を見ても、血で汚れた様子はない。久川家からこのビルにやってくるまで、人目につかずにいられたなんてことはないんじゃないか? 血痕が途中で途切れたことを考えると、途切れた地点で何かをしたんだ。何か。恐らくは塗れた血を取り除いたか。そんなことができるのか? 分身以外に何か別の能力を?
 考えても答えは出てこないらしい。ため息を付いて携帯を置く。目が疲れた。
 やっぱりリネーマーに会うしかないのか?
「一家殺人についてはわかったが、崇道雅緋についてはわからんまんまだ。どうしようもねえな」
「じゃあ、ヤツに頼むしかなくない?」零以が気の進まなそうな口調で言う。やはりそうなるか。できれば避けたい。どうしても。
「何か他に当てがあるの?」ディグロが無邪気に訊く。
「ああ」俺はまた携帯を手にして連絡先を探す。「下手したら、リネーマーよりタチ悪いがな。会わないだけマシさ」電話をかけ、スピーカー通話にする。テーブルの真ん中に携帯を置いて、その周囲を三人で取り囲んで相手を待つ。
 千里眼の能力者管理担当。ヤツ。
 ”アルファ”。

「おかしいだろう、それは」
 それはこちらのセリフだ。
 崇道雅緋について訊こうとしたのに、開口一番「おかしい」だと?
「まずその写真だが……どうやって監視カメラの映像を現像して持ってきたんだ?」画質の荒い崇道の後ろ姿の写真。これはディグロが持ってきたものだ。
 当のディグロは困惑を隠せずにいる。「テレビ電話でもないのにどうして」
「写真がわかるのかって?」
 それはアルファが千里眼の持ち主だからだ。この家の中を覗くことなど簡単だからだ。どうやらディグロは「崇道の居場所を知ってるかもしれない人物」という認識で止まっていたらしい。まあロクな説明をしなかったしな。する必要がないと思ったし、今でもそうだと思ってる。
「ビルの管理担当からかっぱらってきたんでしょ」零以がぶっきらぼうに言う。
「ならばその管理担当も死んでいることになるな」
「どういう意味だ?」そんなニュースはない。
「姿を見たものは殺されるんだろう? だからその意味を説明するためにもう一つ不審な点を挙げよう。崇道はなぜ深夜のビルの中にいたんだ? 中で何をしていた?「人を殺していた」というのはナシだ。あくまでもそれは結果。つまり

んだ? ということだよ」
 何のために深夜のビルにいたのか、か。確かにそこを考える必要はある。
「ディグロ。君は深夜のビルを清掃していたわけだね。そこに崇道雅緋がやってきて、仕事仲間をバッタバッタと斬り殺していった。そうだね?」
「そうだね、その通りだ」たじろぎながらも答える。
「なぜ崇道は君がいたビルを選んだと思う?」
「それはわからないよ」
「では考えてみよう。この街を取り囲むビルについて。私が確認した限り、全てのビルに清掃員はいた。その中でも、なぜ彼は君がいたビルを選んだんだ?」
 アルファの詰問に対してディグロは何も言えずにいる。答えようがない。気持ちは分かる。「……どういうこと?」と彼なりに考えた末に出した声には震えが入っている。「僕を殺しに来たってこと? ありえないよ、だって僕はその時初めて崇道雅緋を見たんだから」
「君が以前見ていなくても、向こうが見ていた可能性はある」
 おいおい待ってくれ。「姿を見たものを殺すんだろ? ディグロはビルで初めてその姿を見たってのに、それ以前にディグロは見てないってのに、それよりも以前に、向こうが見られたと勘違いして殺しに来たってのか?」
「ありえない話ではないだろう? あくまで可能性だ。可能性を考えるのは悪いことではないよ」
「……でもでも、そればっかりはシリアルキラーさんにしかわからないんじゃないかな?」
「果たしてそうだろうか?」そうだろうかと言われても。「可能性だと言ったろう? 推測ならばいくらでもできるじゃないか。当たり外れは問題ではない。考えることが重要だ。考えろ」
「あいにく俺達は名探偵じゃない」
「今は仮にもその役目だろう? これはいわゆる人探しなんだから」
 俺も零以も、何も言えなかった。
「それから「姿を見たものを殺す」という崇道雅緋の特性についてだが……君たちはいくつかのニュースを見て、目撃された血塗れの男が崇道雅緋ではないかと考えたわけだ。ならば疑問が一つ。姿を見られているのに殺されていないその目撃者はどうなる?」
「目撃証言をした後に殺された、とか?」零以が言う。その可能性は限りなく低そうだ。
「……可能性の一つとして考えるとしよう……もっと考えてもらうために。ついでだ、もう二つほど情報を与えよう」
「最初からそうしてくれ」
「流れってのは大切にしないと。何の脈絡もなく私が情報を与えたところで、君たちはどれほど考えることができた?」
「つくづくムカつくね、アルファさんは」
「褒め言葉だね……いいかい、彼は多重人格者だ。これは重大ヒントだ」
 そんな情報、いくら考えたところでたどり着かなかっただろうさ。分身能力を持っていること以外に、崇道雅緋のことを何も知らないんだから。
「そしてもう一つ。彼はまだこの街にいる」
「この街っつっても結構広いぞ」五キロ四方の街だ。あまりにも範囲が広すぎるってんだ。「もうちょっとピンポイントに言えないのか?」
「あいにくだがそれは言わない。公平性を大事にしてるんだ。この街はシリアルキラーも自由に大手振って歩ける街でなくてはならない……ディグロ。強いて言うなら気を付けることだ。彼は君を探している。それは君自身がよく知っているはずだ。なぜ君を狙っているか? それもわかっているはずだ。そして警察には気をつけたまえ」
「どうして?」
「ビルの清掃員は全員殺されたわけだね。でも君は生きている。清掃員としてビルに入る時、入館証だとかそういう管理がされていたはずなんだ。その辺の記録まで消されていれば話は別だが……少なくともそうでないのなら、「清掃員として入館してきた人数と、実際殺害された人数の数が合わない」なんてことが起きている状況あるわけだ。警察はもう気づいているだろう。幸いにもこの街は警察が介入できない特殊な街だが……この街の外を大手振って歩くことは、あまり考えないほうがいいかもしれない」
「なるほどね……忠告ありがとう」ディグロの声は、もう震えてはいなかった。
「そして最後になるが……リネーマーたちにはもう一度会え。そして話せ。そして訊け。問え。尋ねろ。アドバイスは以上だ」
 通話は途切れた。こういう奴なんだ。わかってる。
 リネーマーにもう一度会う、か。理由を言わなかったのは、自分で考えろってことなんだろうが……俺の懸念していたことと同じことを考えたに違いない。
 リネーマーは、一家殺害事件と崇道雅緋の名前をくっつけた張本人だ。あいつらに写真を見せて、俺達が得た情報は「写真の人物が崇道雅緋であること」と、「崇道雅緋が一家殺害事件の犯人であること」の二つ。彼らがどう考えたのかは訊いておかねばなるまい。
 やはりリネーマーに会って確かめろ、ということなのか。厄介だ。
 零以は蜂蜜の瓶を手に取っていた。「ここでのんびり待ってれば、シリアルキラーさんは勝手に殺しに来てくれるのかな」
「そうしてくれれば、探す手間も省けるよな」時間さえあれば、だが。ディグロはもう街の外に出ることが出来ない。出たら警察が待ち構えている。いや、本当に待ち構えているかどうかはわからない。少なくともマークはされているだろうけど。
 では崇道雅緋がここにやってくるまでディグロと共に生活をするか?
 御免被る。
 第一、零以はこの部屋の状況に全く適応できずにいる。俺とて例外ではないが、彼女の蜂蜜を食べるスピードは速くなる一方だ。綺麗な部屋は無理だ。体が受け付けない。奇妙に麗しいくらいが丁度いい。何もそこに糸偏を付ける必要などないのだ。
 綺麗好きのディグロが、このまま掃除を放棄して家事も放置してくれれば考えるかもしれない。
「それは無理だね」だろうな。聞いた俺が馬鹿だった。
 このままディグロを住まわせておくのは無理だ。単純に、俺達の精神が保たない。本来この部屋は二人だけの空間だ。来客なんか稀だしすぐ帰るからどうってことはない。だが居候は困る。俺と零以が織り成す生活をいつまでも阻害されては困る。本当に、困る。
「……なら、このままここにいても無駄だ。出かけるぞ」
「どこか当てがあるの?」
「ない。腹が減ったんだ。どっか外で飯にしよう」
「お腹が空いたなら俺が作るよ」ディグロが立ち上がろうとするところを零以がとっさに止める。俺も止めようとした。「どうしたの?」
「外で食べたい」零以が言う。
「あー、」ディグロが彼女の言意を勘違いする前に訂正を入れる。「俺達は決して、ディグロの料理を食べたくないわけじゃないからな。零以も同じだ」零以は無言で小刻みに頷いた。
「じゃあどうして」
「美味い店を知ってるんだ」
「それよりも美味しいの作るよ」ディグロの言葉で零以の表情が曇る。あーあ。
「何を根拠に? あなたの料理食べたこともないのに、あのお店よりも美味しいだなんて。まず食べてから言って?」訂正は無駄になった。
「なあディグロ、アンタがそれよりももっと美味いものを作れるかどうかはどうでもいい、だから気にするな。悪いけど料理スキル以前の話なんだ。単純に困る」
「困るって」
「これ以上この部屋を荒らされるのは困るってことだよ」
「荒らすって……」困惑するのも無理はない。「むしろ前より綺麗になってるよ??」その通りだ。
 だがそれがダメなんだ。
「この家に限ってはな」俺は外に干していた布団を部屋に入れて、そのまま床に敷く。無造作に。「その意味は逆転する」
「え、じゃあ、汚い部屋のほうがいいってこと?」
「そういうことー」零以が赤いコートを羽織る。赤頭巾になった。
「よくわからないな……」
「悪いがそれもよく言われる」ディグロを先頭にして、俺達は家を出た。

 + + +
 
「とにかくだ。崇道雅緋はディグロを狙ってる。何がきっかけなのかはわからんが、アイツはアンタの姿を見ているし、そうでなくてもアイツは姿を見られたと思ってるままだ。そのうえ一度会っていて、その時すでに殺されてるわけだ。ディグロが生きてることをアイツが知るのは時間の問題だ。アイツは自分の姿を見た人間を殺す」
 俺は話を止めて、フォークに巻き付けたパスタを口に運ぶ。
「つまり、ほっといても俺のところにやってくるってことだよね?」俺が食べるのを見計らってディグロが続きを言う。
「そういうこと」俺の代わりに、口の中を空にした零以が口を挟む。「で、どうなの?」
「何が」
「ご飯のお味は?」
「絶品だね」
「でしょ? やっぱり一度食べておいて損はなかったでしょ? もうほとんどこの街のお世話になることは決まったようなものなんだし、美味しいご飯屋さんにたくさん行って、たくさん勉強すればいいんじゃないかな」
 空腹が満たされたことで、零以から刺々しさが消えていた。やはり飯は人を優しくすることがわかる。
 パスタを頬張りながら零以は話を続ける。「ディグロの住む場所も決めていかないとね」
「そんなにすぐ決まるもんなの?」ディグロは水を飲み干す。
「荷物とか何も持ってきてないでしょ? 今更外に出て荷物取りにいけるわけでもなし。もうここで全部揃えちゃえばいいよ。今日中には住む場所も揃うし。ここはそういう街だから。ね?」零以が俺を見る。間違ったことは言っていないので同意する。そして水を飲み干す。
「戻れないんだよね……そうだよね」空のコップに水を注ぐ。ついでに俺のコップにも注いでもらう。零以が慌てて水を飲み干したので、ディグロは零以のコップにも水を注ぐ。三人で食事は再開される。
「仕事が終わって、そのままここに来たってわけでもないんだろ?」ディグロが着ているのは清掃の際の服ではない。監視カメラに映っていたものとは違うものだ。まあ……ビルの中でその服に着替えたってんなら話は別だが。
「一旦帰ったよ。着替えたついでに、銃を取りに戻ったんだ。さっきの電話でアルファさんが言ってたけど、確かに管理の人間は既に死んでた。だから僕は、監視カメラが捉えたそいつの画面を撮ったんだ。携帯でね。ここに来る途中、その写真の印刷もした」
「じゃあ、監視カメラの映像をそのまま印刷したわけじゃないんだな」
「そうしようとは思ったけど、多分あの時点で生きてたのは僕だけだったから。急いでたのさ。散々僕を殺して、仲間も殺して、それでも逃げる僕を絶対に仕留めるくらいの殺気を放ってた人間が、血眼になって僕を探しているんだって思うとさ」
「でも、よくもまあ生き延びることができたよね」
「何度も殺されはしたけどね?」ディグロの視線で零以は肩を竦めながらパスタを口に運ぶ。
「で、この銃なんだけど」ディグロは銃の入ったバッグを取り出す。「なんなの? 何の力があるの?」
 ディグロはわくわくしている。少し危ない。
「それは、」俺は最後の一口を飲み込む。「使ってみてのお楽しみだ。いくらここがスラム街だからってな、誰でも撃っていいわけじゃねえの」
「撃ちたいだなんてそんなこと言ってない」
「わかるんだよ。アンタは早く崇道雅緋を撃ち殺したい。そうだろ?」ディグロの目が泳ぐ。わかるんだ。こういうのは。人を殺す目。殺そうとする目。殺した目。いろんな目があって、いろんな殺意があって、それは全部同じものだ。誰を殺したいとか、そういうのは関係ない。やるやつはやる。
 ディグロが発するこの雰囲気。急に声の震えがなくなって、目が真っ直ぐを向く。
 自分が崇道を殺すと宣言したときも、仇元の親父さんから銃を受け取ったときも、アルファに忠告を受けたときもだ、この雰囲気を放った。そしてそれはすぐにわかった。温度がまるっきり変わる。震えていた空気が凍りつく。ブレていたキャラが一定の場所に収まる。
 俺の経験則から言うと。
 彼のそれは殺気である。
 そして酷くなっている。
「だからそれは絶対に取り出すんじぇねえぞ。然るべき相手が出てきて、然るべき相手だとわかった時。それだけだ」
 ディグロは仕方なさそうに、バッグを下ろす。
「取り込み中悪いんだが」
 背後で声がしたので振り向くと、シェフが立っていた。前髪で顔の上半分は完全に覆われている。ディグロはびっくりしている。無理もない。
「ああ、ディグロ。こいつはここのオーナーだ。シェフもやってる。平群ってんだ」
「ヘグリ?」
「そうだ平群だ。漢字わかるか? わかんないやつに書き方教えても意味がないからな。時間の無駄さ」平群は笑う。今のはジョークらしい。「ここに来て間もないんだろ? なら、例の石板にもまだ触ってないってこったな」
「ああ、そんな暇もなかったしな」パスタがあった皿は空になった。「ご馳走様。今日も美味かった。支払いは何がいい?」取り出した財布を見る。今あるのは円、ドル、元、ウォン、ペソ、ユーロ……は少し心もとないな。
「毎度ながらどれでもいいんだけどよ……そうだな、釣り銭が切れかけてんだ。久々にウォンで払ってくれ。あるか?」
「多かったからちょうどいいや。三人分な」
「どうも。全部食ったらそのまま出ていいぞ」
「わーいごちそうさま~」零以のパスタはまだ半分以上残っている。
「で、取り込み中悪いんだが……って何だ?」
「そいつだよ」ウォンの札でディグロを指す。「ディグロってんだっけ? こいつにこの街の説明、したのかお前?」
「いや、そういう暇すらなかったのさ。忙しかったからな」
「それはわかったから早めにしとけ。そいつの殺気スゲェからよ。石板の話も頼んだぞ。それに関しちゃ、住人全員に説明の義務があるんだ」
「わかってるさ」財布をしまいながら言う。平群は厨房へ消えた。
「石板って、何のこと?」ディグロは純粋な好奇心でか、そんなことを訊いてくる。ほんと、この街をよく知らない人間にしてみれば、魔境だよな。同じ日本なのに外国の気分だ。
「まぁ、零以が食べ終わるまで、ゆっくりと説明するよ。街について。石板についてもな。それと、」
 それと一番重要なことを。
「どうして日本語を話す俺たちが、英語を話すディグロと、こうして会話ができてるのかってのも教えてやるよ」
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