楽天地から徒歩一分。花壇街とは何ぞや ③

文字数 2,560文字

 楽天地の中通路を挟んで、江東劇場の向かい側にあった本所劇場が改修され、ボーリング場として生まれ変わったのが1971年。ここの思い出は、ボーリングではなく、建物に沿って作られた人工のせせらぎです。

 流れの幅は三、四十センチ程度。渓流を模したせせらぎの周りは擬岩で囲まれ、滝のような吐水口から流れ出した水が五、六メートル先の池へ入り、ポンプで循環しているという何てことはないものだけれど、低学年の小学生にとっては格好の遊び場でした。
 周りに植えられた笹の葉を取って、笹舟を作って競争するのが定番。他にも、お祭りの縁日で捕った金魚を池に放したり、流れの途中に石でダムを作ったり。色々なことをしたけれど、怒られた記憶はないなぁ。この程度は大目に見てもらえた時代だったのかな。
 ボーリング場が移転のために閉鎖されパチンコ屋に代わるときに、このせせらぎも壊されてしまいました……。


 中通りを奥に進んで左手、ちょうどせせらぎの池の辺りの向かい側に、《踊る鰹節で有名な伝説の》たこ焼き屋がありました。有名なのか伝説かどうかも実際には分かりません。仲間内で呼んでいただけだから――でも、確かに記憶に残るたこ焼き屋さんだったのです。

 このたこ焼き屋さん、信じられないくらい狭いスペースで営業していました。間口は二メートル程度、奥行きに至ってはたこ焼きの鉄板の向こうにオヤジさんが立つのがやっとだったので、恐らく一メートルあるかないかといった所。
 映画館の横に自販機が並んでいるのを想像して見て下さい。その自販機を移動して、そこで商売をしている、そんな感じです。もちろん食べる場所なんてないので、持ち帰りか立ち食いのみ。それでも、安くて美味しいと言うことで評判のお店でした。
 細身のオヤジさんは、決して口数が多いわけではないけれど人当たりがよく、いつも優しく微笑みながらたこ焼きを作っている、そんな印象が残っています。
 一九八四年頃まで営業していて、二百円~三百円で八個が当たり前の時代に、百円で六個入り。仕上げに掛ける鰹節が関東に多い粉系ではなく花かつおだったので、焼き立てのたこ焼きから立ち上る湯気に、花かつおが踊るように彩りと香りを添える、そんな一品でした。

 中学生の頃、小腹が空いた時に寄り道して何食べる?ランキングで、江東デパートの焼きそばと人気を二分し、高校の友達の間では、錦糸町へ遊びに行ったら絶対に外せないランキングで堂々の一位に輝いた――か、どうかは分かりませんが、今でも昔の話になると「あの、たこ焼き屋が」と話題に上ることもあるほど、多くの人に愛されたたこ焼き屋さんでした。
 映画館の改築に伴い店仕舞いした時も「建て替えたら、また店を出して欲しいね」「あんなに人気なんだから、残ってくれるでしょ」と話していたのが懐かしい。
 オヤジさん、どこかでたこ焼き屋さんを続けているんだろうな。


 そして、最後にもう一つ、どうしても伝えたい、けれどマニアにしか刺さらない話を。

 高校三年の秋、遊びに来ていた友達二人(亀戸在住)を錦糸町駅まで送るために楽天地の中通りを歩いていた時のことでした。
 夜九時を過ぎて映画館も最終上映が終わり(当時はレイトショーもないし)、通りも薄暗い中、駅の方から三人の男が歩いてきます。もう肌寒い季節なのに、三人ともTシャツ姿。いかつい感じが遠目にも伝わり、何かヤバそう……と思いながら
近づいてくる三人と私たち高校生三人。
 彼らが、ちょうどたこ焼き屋さんの辺りに来た時、初めて顔に光が当たって――
「あぁっ!」
 思わず声をあげて立ち止まってしまった私の横を、気にする素振りも見せずに談笑しながら三人は過ぎていきました。
「どうしたんだよ?」野球部とバンド仲間が二人して不思議そうに尋ねてきます。
「えっ!?だって今の……」

 そうです。プロレスに興味がない彼らは気付かなかっただけ。
 今、すれ違ったのは新日本プロレスの長州力、マサ齋藤、国際プロレスのアニマル浜口だったのですぅぅぅぅ!!
 思い出しても熱くなるこの場面、その理由は「時」にあります。プロレスファンの方も、「何言ってんだ……」とあきれたりせず、もう少し我慢して。

 今でこそTVでいつもニコニコしている「気合いだぁー!」のアニマルさんや、お笑いの方たちからリスペクトされている長州さん(小力じゃないよ)ですが、当時は現役バリバリのプロレスラー。
 しかも、この二人が一緒にいるなんて考えられない時だったんです。
 当時、長州さんの所属する新日本プロレス(猪木さんがいたところ)とアニマルさんの国際プロレスは敵対していて、リング上で抗争を続けていました。
 さらにマサ齋藤さんはアメリカで活躍していたので、この三人が一緒に錦糸町を歩いているなんて信じられないっ!もう訳が分からず、頭の中はクエスチョンマークだらけになりながら、三人の後姿を見送りました。

 そして、この数か月後、自分がとんでもない場面に遭遇していたことを知ります。

 新日本プロレスの体制に不満を持っていた長州力が反旗を翻し、マサ齋藤・アニマル浜口と共に「維新軍」を旗揚げした、という情報が飛び込んできました。あの夜の夢のような不思議な光景が現実とつながった瞬間です。
 明智光秀ばりの謀反を起こし、しかも敵将をも味方に引き入れた長州は「革命戦士」と呼ばれ、一気にスターダムへと昇りつめていきます。
 私が三人と会った《あの時》は、まさに革命前夜だったのです!
 
 一プロレスファンの熱い思いが少しは伝わったでしょうか。
 今ならばスマホで写真を撮って、インスタにあげて、ツイッターで「三人を見かけたぜ」と拡散し……きっと、インパクトのある「革命」にはならなかったでしょう。
 ガラケーだし、インスタもツイッターもやっていない私が目撃者なら、同じ結果だったかもしれないけれど。(^^;)

 
 時の流れと共に大きく変わってきた楽天地。もう、大衆娯楽の聖地とは言えなくなってしまったけれど、その姿を変えながらこれからも錦糸町の中心としてあり続けるのでしょう。
 いよいよ、次回からは謎の「花壇街」をご案内します。

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