海蛍 10

文字数 941文字

 微睡から覚めながら視界に入ってきた景色には既視感があった。ふと、こんなに柔らかな布団で寝たのは二度目だと思った。確か最初は助けてくれた日向大佐のベッドで……
全身が、特に肋骨辺りが呼吸と同時に軋む様に痛み、薫は思わず唸り声をあげた。瞬間、この身に起きた悪夢が鮮明によみがえる。姉のための花を踏みにじられ、罵倒され、殴られ蹴られて。
そして……最も思いだしたくなかったこと。それは、自分を包むこの香りが日向のものであり、ここが日向のベッド上であることまで薫の思考は追いついた。
もう、こんな風にあの人のベッドに横たわることなどあり得なかった。あり得ないから心のどこかで願った。
『あの人に触れることまで望んだりはしません。せめて、あのベッドにもう一度だけ横たわりたい。あの人の香りに包まれることが許されるなら、自分はもうどうなってもいいんです……』
今まで何一つ願いが叶うことがなかったというのに、寄りによって今、このタイミングでなぜ自分が日向のベッドにいるのかを考えると薫は自分がこの世に生まれて来たことすらをも呪った。
何が起きても、日向がいてくれたから頑張れたし乗り越えられた。けれども自分の身に起きた惨状を知ってしまった日向に、自分はもう合わせる顔はない。嗚咽が漏れそうになり呼吸を堪えた時だった。喉の奥に溜まっていた血の塊が、咳込むと同時に口から勢いよく飛び出した。自分を覆う毛布もベッドも一瞬で鮮血に塗れた。
「大丈夫か!?」
窓を背にして神々しい程の光の中、日向が慌てて駆け寄る。薫の顔を横に向けさせ、背を擦りながらタオルで血に塗れた薫の顔を静かに拭う。
「怪我が酷い。暫く休めるように手配をしてある。何も気にせず身体を治すことだけを考えればいい」
日向と目を合わせることが怖くて、薫は目を固く瞑ったまま唇を噛みしめる。
「……連中を許せとは言わない。だが、安心して欲しい。俺が責任を持って二度と連中にあんなマネはさせないと誓う」
いつも物怖じせず颯爽としている日向の声が震えていることに気付き、薫は静かに瞳を開き時間をかけてやっと日向を視界に捉えた。そこには怪我をした自分以上に、この世のすべての苦しみや悲しみを背負ったかのような表情をした日向が自分を見つめていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み