第3話

文字数 1,386文字

 自問自答していると、でもさ、と玉木さんが話しはじめる。
「政好さん、まだ余力があると、わたしは思うんだよね」
 何度もお遍路行ったり、山登ったりしてた人だしさ。と言いながら、視線がふと窓の外へ移り、私へ戻る。どう思う?というように。

「政好さんの想いは大切。彼の人生だから。でもね、今は気持ちが落ちてるかもしれないけど、由佳さんの想いは余力を引き出すカンフル剤になる気がする」

 そうだ。寄り添いながらも、その人の持つ力も忘れてはいけない。

 深くうなずき、同意をしめした。自分の想いが片寄っているときこそ、ディスカッションは必要だ。しっかりと全ての声に耳をすまして本質を見定める。


 翌日。木曜日。点滴四日目
 由佳さんの背中を押してみる。

「点滴、続けてほしい。必要なら入院もしてほしい」
 ベッドサイドで言葉を詰まらせながらも、想いを伝える姿を見守る。
「じいじ、ごめん。私まだ心の準備ができていないんだ。辛いのに、ごめんね。でももう少し……。」
 じっと聞いていた政好さんの目から、つっと涙が落ちた。

「お前のためにもう少し頑張るか」
 天井を見たままだったけれど、しっかりした声だった。そして、「俺は幸せな男だな」と小さくつぶやいたのを、私は聞きのがさなかった。

 人は人のために生きる意味を見つける。
 辛くても、もう少し頑張ろうと言った政好さん。

 こういう瞬間に気付く。共に重ねた日々が絆となり、静かに降り積もっていることに。
 今ここに立ち会っている私も、幸せな看護師なのだろう。

 人の生き様を深く目の当たりにする場で、生きる意味や人生の喜怒哀楽を強く感じる空間で、出会いの数だけ物語がある。その中に身をおきながら過ごす人間として感じた想いを忘れないようにしたいと思いながら、二人を見ていた。


 冬の日暮れは早い。

 残りの人生がどれだけかは分からないけれど、政好さんにとって本当に良かったのかな。入院も点滴も嫌がって、しかも、一度で入らなくて何度も痛い思いをすることになる。私、次も一回で点滴入れられるかなあ。帰り道、私は玉木さんに漏らす。
「点滴くらい入れなさいよ。弱気になりなさんな」ぽんっと私の肩をたたいて玉木さんは続ける。
「これからあの二人は今まで以上に通じ合い濃い日々を送るはずだから、これでいいんだよ」

 玉木さんはいつも前向きだ。眩しい横顔をそっと見つめていると「月はいいねえ。なごむよねえ」といきなりつぶやいたから、薄闇の空を見上げた。ぼんやり小さな月が浮いていて、私の迷いをなごませる。「そうですね。月、いいですね」とあいづちをうった。

 土曜日。
 もう点滴しなくてもいい。
 同じ言葉でも逆の意味で、医師からいわれた。この調子だと来週の点滴は必要ないでしょう、と。政好さんと由佳さんの顔に安堵の表情が灯る。
「よかったですね」そう言いながら政好さんの右腕を布団からだし、駆血帯を巻き、血管を探している私に声がかかる。
「看護師さん、一回で入れてな」
「あ、プレッシャーかけましたね」と、おどけてみると、政好さんは小さく笑った。小さくてもいい。久しぶりの笑顔だ。
 一回で入れてみせるよ。
 心で真剣に答える私を横目に、今日も寒いなあ、と半袖姿の政好さんは、左手で首元まで布団を引き寄せた。               

                        政好さん87歳(了)

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