第42話 安倍弥琴という男7

文字数 3,223文字

 「まったく困りましたねぇ、この男の子は」
「またあんさんか。今日こそは決着つけたる!」

 ツユは口元を不気味に歪ませ、「くだらぬ」と吐き捨てる様に言い放ちました。一歩前へ足を踏み出し、金色に色を変えた瞳を見開くと、ツユの体は瞬く間に発火して柱を立てながら燃え始めました。その炎は提灯を巻き込み、神社の周りを巻き込みながら、安倍の周りを取り囲み、旋風を巻き起こすほど大きくなりました。
 安倍は熱に耐えながらギンガとギンゴを自分の洋服の中に避難させました。そして両手を合わせ、柏手を一つ打ち、「雨よ降れ」と天を見上げて叫ぶと、空はそれに応える様に大雨を降らせました。
 与彦は危険を察知して、翼を羽ばたかせて早々にその場から離れていきました。そして遠くから様子を伺いました。
 次第に周りの炎が消えていき、炎は鎮火しましたが雨風は止みません。風はどんどん強くなり、炭になって濡れた木々を宙に浮かせて安倍に目掛けて突進しました。何度かそれを躱した安倍ですが、数度目にして大木を脇腹にぶつけられ、その勢いで体は神社の社まで飛ばされてしまいました。
 打ち所が悪かった安倍は、朦朧とする意識の中、立ち上がろうとしますが体が痛くて思うように動かせません。ツユは風から元の人の姿へ変化して、安倍の前に仁王立ちすると、左足で安倍の頭を踏みつけました。

「あっけないですね。力もそれほど持たぬ人の子の分際で私を石に封じるなど、笑えますよ」

頭を踏みつけているツユの足は力強く、安倍も苦痛の表情を表すほどに眉間に縦皺を寄せました。

「このままいっそ殺めてしまおうか。頭が割れる音とはどういうものか……クク……」

より一層踏み付ける力は増して、安倍の頭蓋骨はミシミシと音を立て始めました。

 その時、ツユを横から押し倒しました。雨でずぶ濡れになったアキが、「やめて!」と叫び、ツユを横から押したのです。

「ご、ご主人!」
「ツユ、おやめ!」

 涙声でツユに抱きつき訴えるアキに、ツユはすぐにいつもの赤茶色い瞳に戻りました。

「そんなことしたら、また石に封じられちゃうよ!嫌だよ私!ツユとお別れしたくないよ!!」
「ご主人……」
「お願いだよ!いつもの優しいツユに戻っておくれよぉ!」

 ツユは、自分の胸にもたれかかるアキの背中に手を回し、抱きしめました。風は止みましたが雨はまだ止みません。

「ご主人、申し訳ありません。辛い思いをさせてしまいましたね」
「ううん。でも、もう『殺める』なんて言わないでおくれぇ」

 アキはツユににっこりと笑って見せると、ツユもアキににっこりと笑って見せました。それを横で見ていた安倍は「茶番やな」と呟きました。そして目を閉じて気を失ってしまいました。
 アキは立ち上がり、空に顔を向けて目を閉じ、大きく息を吸った後に「戻って」と呟きました。すると、雨は止み、炭化した木々は倒される前の青々とした姿に戻り、神社の社は壊れる前の綺麗な形に戻りました。それはまるで今までの事が逆再生されるように動き、何事も無かったかのように静けさを取り戻しました。
 アキはツユに安倍を屋敷に連れていき、手当てをする様に言うと、ツユは素直に返事をし、神社の神殿の中から階段を降りて、屋敷に帰りました。ギンガとギンゴは安倍の下敷きになりながらも生きていました。アキは二匹を抱き抱え、一緒に屋敷に帰りました。

 その少し前、意識をなくしたハルは烏天狗に連れられ屋敷に帰りました。泣きじゃくっていたナツとフユはすぐに家鳴りの指示通りにハルを布団に包みました。家鳴りの二人はハルの顔や両手に着いた血を拭き取って、不浄の毒を取り除く甘いお香を焚き、傷薬を作って、顔や両手の傷に塗ってさらしを巻きました。合わせて熱も発していた為、手拭いを水に濡らして絞り、ハルのおでこに乗せました。次第にハルの顔は穏やかな表情に戻り、みんなは一安心しました。その時、安倍を担いだツユと、ギンガとギンゴを抱き抱えたアキ、遅れて与彦が戻ってきました。

「ごしゅじん!ツユさま!」
「かえってきた!!」

 ナツとフユは喜び裸足で外にでて、二人を迎えに行きました。

「ただいまぁ」
「二人とも、泣き止みましたね」
「はい!」
「ツユさま、このひと だぁれ?」
「おねんね してる」
「ずぶぬれ です」
「この方は『お仕置き』せねばならない客人ですよ」
「おしおき?」
「おしおき?」
「そうですねぇ、お尻ぺんぺんとか……」
「ひっ!」
「ひっ!」

ナツとフユの顔が一瞬で青ざめました。

 ツユは肩に担いでいる安倍を縁側に寝かせました。昼下がりのお日様の光に照らされるも彼は依然として意識はなく、眉間にシワを寄せて苦しそうな表情を浮かべています。それを不安げに見つめているギンガとギンゴは、安倍の元を離れようとしませんでした。

「ナツ、フユ、沢山の手拭いと、私の服一式を二着持ってきてください。」
「はい!」
「はい!」
「ヤナコ、ハルの様子はいかがですか?」
「今、布団に包めてお香を炊いてるよ。体も綺麗にしたけどさ……」
「けど?」
「ハル、目を覚ますかねぇ?」

 ヤナコはギシギシと音を立てながら今にも泣きそうな顔をしていました。そこへアキがやってきた。

「ハルは、奥の部屋にいるのぉ?」
「そうだよ。お香炊いてる部屋だよ」

アキはびしょ濡れのまま家に上がり、ハルが眠っている奥の部屋へ入りました。

 薄暗い部屋の中は、甘い香りが充満していました。その中で体を伏せている大きな狐のハルが、グルグルと寝息を立てながらゆっくりしていました。アキはハルの目の前に顔を近づけて、ハルの寝息の温もりを感じました。

「ハル、元気になって」

アキはハルに向けて呟きました。その途端、ハルを巻きつけていた布団とさらしが外れて、部屋に風を小さな風を巻き起こしました。

「ハル、お目目を開けておくれ」
「グルル……グルグル……」

ハルは片目を開けました。そして目の前にいるアキを確認すると、両眼を開けてアキの姿を目に焼き付けました。

「ご主人……グルグル……」
「ハル、ハル……ハル……」

 アキは安心した反動で、涙を溢しました。ハルは、流れ続けるアキの涙を最後まで舌で舐め取りました。アキの顔はベタベタです。

「グルル……ご主人、ずぶ濡れです。着替えをなさってください」
「やだ。ハルと一緒にいたい」
「風邪引きますよ」
「いいよぉ。ハルのお薬を沢山飲むからぁ」

 アキはハルの布団に入り、眠りにつきました。ハルは大きな狐の姿のまま、アキを包み込むように体制を整え、四本のフカフカした長い尻尾をアキの体に乗せて、またグルグルと寝息を立て始めました。

 その頃ツユ達は、安倍の服を剥ぎ、手拭いで濡れた体を拭いて、怪我をしている脇腹と頭を手当てし、尋常ではない量の包帯を巻き、ハル達とは別の部屋に布団を敷いて寝かせました。ギンガとギンゴは、ツユに「おおきに」とお礼を言い、眠っている安倍の横で体を丸めて眠りにつきました。
 ツユも自分の体を拭き、着物を着替えました。与彦は一連の様子を見届けると、夜彦の容態を案じ、英彦山に帰っていきました。

 「お前たち、疲れたでしょう。何か食事を作りましょうか」
「ツユ、あんたも休みな。耳が出てるし、目が据わってるよ」
「不浄の毒に侵されてる証拠だ。休んだ方がいいぜ。ご飯なら家鳴りの俺らが作るから!な、母ちゃん」
「そうさね!とびきり美味しいもんを作るよ!ナツ、フユ、お腹すいたかい?」
「わたし、からあげ たべたい!」
「わたし、あぶらあげ たべたい!」

 こんな時でも相変わらず元気なナツとフユです。

「……では、私もお言葉に甘えます。奥の部屋でハルと一緒にお香を味わってまいりますので、後はよろしくお願いします」

 家鳴りの二人は返事をして早速台所へ走っていきました。ツユは体を左右に揺らしながら、ハル達が休んでいる奥の部屋に入りました。そしてそのまま一晩、その部屋から、誰一人として出てくることはありませんでした。
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