#13

文字数 2,899文字

“Runaway”



 *



「はっ……はっ……はっ……」

 逃げる。
 逃げる、逃げる、逃げる。理由は、わからない。
 ハカナの思考は焼き切れたようにまとまらない。本能のままにただ走り続ける。逃げるということ以外を考えない。何も、考えたくないのに。

「…………っ! 神様ぁ……」

 彼の脳裏に、嫌でも先ほどの光景が焼き付いてしまっていたーーーー



 *



 ーーーーシンゴが怪物と戦闘を続行している最中。ハカナはなんとか必死に、掴まれていた腕から何とか這い出ることが出来た。
 間近で刀と鉄とがぶつかり合う音が響く。
 そこそこの高さから落下した衝撃のしびれがまだ彼の体から抜けていない。しかし、『恐怖』で感覚が麻痺している為か、ハカナにはほとんど痛みが感じられなかった。

「げほッ! げほッ! げほッ……」

 拘束から抜けたものの、彼はしばらくの間は体をくの字に曲げて、肺から空気が全部出てしまうじゃなかろうかという具合にむせ続ける。呼吸もままならない様子だ。

「がほッ! ふーっ……はーっ。ッ……!」

 咳き込みが収まったと思った途端に、麻痺していた彼の体に薄い痛みが走る。ふくらはぎの方だ。

(打撲……かなぁ)

 ひょっとしたらもっとひどい怪我になっているかもしれないと彼は考えたが、見るのが怖くてそれを後回しにする。

(だけれど)

 ハカナは呼吸を落ち着けるように息を吐ききった。

(……生きてる。ハハ、僕は生きている。……生きてる)

 痛みが彼の存在を肯定する。

(痛いうちは、まだ大丈夫だ)

 苦痛を感じるということは、まだ体の機能は正常だということだからだ。それは生きてるという証左に他ならない。死んでいたら、苦痛なんて感じる道理などない。そんなことで、少しだけ彼は安堵をした。
 ハカナの耳に剣戟の音が聞こえてくる。まだシンゴと怪物との戦闘は続いている。

(……あの化け物がいる限り、安心なんてできない)

 そう思って彼が立ち上がろうと顔を上げたところで、目が合った。

(……目? なんで目が合うんだ?)

 シンゴと機械の怪物は今も戦っている真っ最中だ。

(なのに、何でここに人の顔があるんだ?)

 おかしい。道理が合わない。理解が遅れる。違う、本能が理解を拒む。いつだったか、その目はさっき見たような気がする色をしていた。
 ハカナは視線を少しずらして、目の端にあったものを映す。

 それは怪物の腕だ。さっきまでハカナを掴んでいたもの。その切断面。赤い液体がだらだらと流れ落ちている。機械からその赤いものが流れている光景は、あまりにも不可思議だ。
 彼は視線を元の位置に戻す。

 また目が合った。その目は嗤っていた。
 赤い液体に濡れた、同じ色の朱色の髪の、同じ歳ぐらいの、少女の…………顔。

 顔だけだ。残りの半分はなかった。
 浜辺の西瓜(スイカ)のように割れて、潰れた、残骸としか言えないような……ただの物となって、彼の目前に転がっている。
 そして、ハカナは気付く。気付いてしまった。切断面から覗く、機械の中に詰まっているものを。それが何なのか。

 ……まるで出来の悪い血のソーセージ(ブラックプディング)。処理も何もかもが中途半端。だっていくつもの塊が原型を残して混じっている。これじゃあ、客は満足しないだろう。

(客だって? どうかしている。誰があんなものを食べるっていうんだ。いや、食べられたからこそ……こんなことに、なっているんだ)

 ああ、それにしても。
 なんて。なんて。なんて……なんてらしくないことを、と彼は考える。

(本当にらしくない。僕らしいってなんだろう?)

 ハカナの思考は目の前の光景から、関係ないものへと移行させようとする。支離滅裂な思考から、目を逸らそうと、目を逸らして。狂気に彩られた光景は彼の正気を侵し続ける。
 虚ろな目をした深紅の少女と三度目の視線の交差。
 彼女は端正な顔立ちを崩し、嗤っている。

(……まるで、僕を嗤っているかのようだ)

 この先の未来に待ち受けている自身の姿がこうであると言うように。自分がこの先で待っていると言うように。光は既に失われ、虚ろな目をした少女は、彼を嗤っている。

 ーーーー気づいた時には、ハカナは叫んで、走り出して、逃げ出していた。



 *



「シンゴッ! 無事か!?」

 緊迫した表情で息を切らせながらセレンは叫ぶ。手には拳銃(ハンドガン)とナイフ。肩に半自動小銃(セミオートライフル)を担ぎ、警戒をしたままシンゴの元まで駆け寄った。

「ちょっと~~! セレンくん、待ってッ、アタシッ、そんな速く走れないッすッ……」

 遅れてラタネが息を切らせながらセレンの後に続く。

「あぁ……俺は無事だ。しかし……」

 シンゴは野太刀を鞘に納め、それを杖代わりに持ち、ハカナの逃げ出した方向に視線を向けた。普段の鋭い目付きが少しばかり曇り、その場に立ち尽くしている。それで仲間である二人には、彼が立っているのがやっとだということがわかった。

「クソッ! あんなヤツの事は後回しだ、無茶しやがって! お前に死なれたらオレたちは……! ラタネ! 足だ! 急げ!」
「うっす! アタシの『コナトゥス』の出番ッすね! って……え?」

 シンゴのボトムの裾を捲ったラタネは絶句して顔が青くなる。

「いやいやいや、これ、結構深いところまで抉れてるじゃないッすか……ていうか」

 呟きながらラタネは手をシンゴの傷口に当てる。
 まるで獣の爪によって乱雑に削り取られてしまったような、生々しい傷。傷からは未だに絶えなくおびただしい血が流れ続けている。これでは動けなくて当然……というより、動ける方がおかしい。

「シンゴさん、これ、もしかしなくても……自分でやったんすか?」

 ラタネはその獣のような傷が刀傷であることを看破した。少し離れた場所に折れた日本刀の切っ先が血塗れで転がっている。シンゴは少しバツの悪そうな表情を浮かべた。

「……ヤツに捕まったときに少し、な」

 ヒィーっとラタネの顔が更に青くなる。

「こんな傷でそのまま、あの娘と暴れて……シンゴさん、なんで、普通に立ててるんすか……」
「……すまない。とりあえず動ける程度に、頼む」
「うぃ。でも、アタシのコナトゥスでもこれじゃあ後に残るッすよ。……あんまり無茶はしないでくださいよぉ」
「心配をかけた。セレン、お前のコナトゥスであいつらが行った方向を見てくれ」
「あ、あぁ……。あのクソ野郎、余計な手間取らせやがって……!」

 呆然とシンゴとラタネの様子を見ていたセレンは、思い出したかのように悪態を吐き、拳を間近の瓦礫に叩き付けた。瓦礫は崩れ、バラバラになる。そして、苛立ちながらもセレンはハカナと怪物が走り去った方向を『視認』した。

「……って、おい、まずいぞ!」
「どうした?」
「この方角は……レキナが居る場所だ……!」
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