再会~魂に染み入る一杯

作者 木本伸二

[ノンフィクション]

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『17歳の夏』
私は、国鉄黒姫駅近辺の野尻湖の湖畔にある喫茶店に居ました。
店の名前は「ぼーしや」。
今、思うと、そこで、飲んだ「ゴールデンフィズ」と云うカクテルが、
私にとって、運命的な出会いだったのかも知れません。
(※未成年者の飲酒は違法行為です・・・厳禁)

何となく、飲食の世界に興味があった、高校生の私は、
夏休みを利用して、観光ホテルでの住み込みのアルバイトをしていました。
私は、ホテルから歩くと1時間近くの場所にあった「ぼーしや」に、よく通ったものです。

ゴールデンフィズを初めて飲んだ時の衝撃を今でもハッキリと覚えています。
今迄に味わった事の無い感覚。
目の前の景色が変わってしまう様な気分になったものです。

東京に戻った私は、何となく、カクテル・ブックを眺めながら、
未知の世界への憧れや夢を抱く様になっていました。
だけど、その頃の私は、スコッチやバーボンが何かも知らず、
バーという世界が有る事も、よく解っていませんでした。
バーテンダーという職業に就いている人間に会った事も無かったのです。

私が、バーテンダーと呼ばれる人に、初めて逢ったのは、22歳の初夏だったと思います。

『22歳の初夏』
その扉を開いたのは、22歳の初夏、
新緑の微風が香り始めた、ある日の夕方だったと思います。
場所は、JRの大塚駅から程近い小さなバー。広さ三坪程。
スタンディングでキャシュ・オン・デリバリー・スタイルのバーボン専門店。
店の名前は「アバクロンビー」。

扉を開いた瞬間に自分が将来やりたい事、やりたい店の
イメージがハッキリ解ったような気がしました。

それまでの私は、何となく、お酒やカクテルの世界に憧れていましたが、
何をどうしたら良いのかも知らず、
自分が、どうしたいのかさえも解らずにいました。
とにかく、私は漠然と飲食の世界に手探りで入っていった気がします。

18歳の頃の私は、高校は休んでも、アルバイトの喫茶店は、休まずに行き、
コーヒーを淹れたり、ジンライムを作ったり、
見よう見まねで焼きうどんを作ったりしていました。
そして、飲食の世界で、何をやりたくて、どんな道を進んでイイのかも解らないまま、
六本木のレストランに就職しました。
ホール・スタッフや調理スタッフとして働き、時間に追われる毎日の生活は、
不安や焦りを感じながら、自分の将来像や、今やるべき事が何かも
考えられない日々だったと思います。

そのレストランでは、貴重な時間を過ごさせてもらい、
今でも交流のある大切な先輩達にも巡りあう事が出来ました。
でも、私は、何物になる事も出来ないまま、
今という瞬間を真剣に生きる事の大切さを知らずに、
そのレストランを3年足らずで退社してしまいました。

その後、渋谷のブリックと云うバーで調理スタッフとして、働き始めた私は、
初めて、バーという世界が有る事を知ったのです。

バーに関する本を読んだり、色々なバーを飲み歩きながら巡りあったのが、
JR大塚駅近くにあったバーボン専門店「アバクロンビー」だったのです。

私が初めて、バーテンダーとして、職に就くのは、その歳の秋の事でした。


『25歳の春』
その御客様に、初めて造ったカクテルは、マンハッタンでした。
私が25歳の春の出来事です。
場所は、赤坂のタート・ヴァンという店です。
入店して半年。私が、タート・ヴァンの御客様に初めて造った飲み物が、このマンハッタンでした。
その御客様からは、何百回も巴里のハリーズ・ニューヨーク・バーの話を聞かせてもらいました。
カクテルの資料で知る巴里のハリーズ・ニューヨーク・バーは、
若いバーテンダーの私が、夢に観る、憧れの場所です。

その頃の私は、自分が、どんな仕事をして、どんなバーテンダーになりたいのか、
どんなカクテルを創りたいのかを、やっと、真剣に考え始めた頃でした。

私は、23歳の秋にホテルの契約社員として、初めてバーテンダーという職に就きました。
不器用な私は、いつも、後手後手に回り、目の前の仕事に追われる日々だったと思います。
カクテルの調整を担当する時は、
ホテル中のカクテルの注文が、私一人の所へ、一気に殺到するのをこなすのです。
御客様の顔は、観えませんでした。
決められた事、指示された事をクリアしようとする事が、当時の私の仕事だったと思います。

赤坂のタート・ヴァンで、働き始めた頃は、刺激に溢れ、四六時中、お酒の事だけを意識していて、
私は、乾いたスポンジの様に、色々な事を吸収しようとしていました。

そのタート・ヴァンで初めて、マンハッタンを造った時には、
非常に緊張した事を想い出します。
その時、私は、
「バーテンダーになるべくしてなり、ずっと、バーテンダーを続けていく。」と意識したのを覚えています。

その私が、自分の店をオープンしたのは、私が34歳になる2日前の夏の事です。

「マスター」と呼ばれて、少し照れくさい思いをした記憶が有ります。

「ブビンガーという材質なんですが、Bar.のカウンターに、どうでしょう。」
1998年5月のと或る晴れた日の午後、
Bar.の内装を行う事になった担当者が言いました。
私の発注は、
店内は板張りの床である事、腰板の高さ、カウンターの高さや幅、厚さ、
バックバーのサイズに店内の色、イメージ、
昔ながらのバーバーチェアー・・・ets.。
具体的な数字を言って、設計者に要望を伝えていました。
そして、
「カウンターには、お金をかけてください。無垢の材質でお願いします」
と注文しました。
初めての店づくりで、自分のイメージを、どう伝えれば良いか解りませんでした。
20歳代後半になった頃の私は、バーテンダーとして働きながら、
将来の明確な目標に向かって、貪欲に仕事を追い求める姿勢だったと思います。
お酒その物にも魅了された私は、お酒とは何かを知りたくて、お酒の語源を調べたり、
お酒その物を造ってみたりしました。
酒を醸造する事は、自己消費の趣味だとしても、日本国内に於いては、違法行為です。
かつて、「酒造りは、食事を作るのと同じで文化だ」と言って、
最高裁まで争った人物が居ました。
当時の若き私は、恐れる事も無く、情熱的に、お酒その物を追及して、
自信と夢を膨らませていきました。
将来の自分の店の「Bar.」のイメージを創っていったのも、この時期です。
想いつくままに、良いと思った事を箇条書きにして、溜め込み、
「Bar.」の世界観を広げていきました。
"バーの世界観とは何だろう?"、"何故、人はバーに行くのだろう?"と考える日々でした。
理想と毎日の現実の世界とを見詰めていた私は、
将来、自分が経営する「Bar.」を舞台にして、Bar.の世界観を具体的に表現してみようと、
小説らしき物語りを書き始めたのです。
その物語りの中の日付は、当時からすると、未来の日付になっていて、
その物語りの最後の日付の日に、実在の「Bar.」を開店させて、
物語りを現実の世界にしようと、試みたのです。
実際には、計画より少し遅れて、「Bar.」は、開店する事となりました。

20歳代の頃の私の描いたBar.の世界観が、そこにありました。

『再会~魂に沁みる一杯』
或る日、或るお客様が、おっしゃいました。
「また、今から書けばいいじゃない」
二十数年ぶりに、書いてみました。
今回の舞台は、東京の六本木交差点から少し外れた
芋洗い坂の雑居ビルの片隅にある「Bar.」です。
尚、
これは、あくまで、私の完全なフィクションです。
絶対に実際の出来事や実在の人物とは、全く関係ない話であります。
宜しくお願いいたします。

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小説情報

再会~魂に染み入る一杯

木本伸二  shinji-kimoto

執筆状況
完結
エピソード
13話
種類
一般小説
ジャンル
ノンフィクション
タグ
#バー, #カウンター, #一人飲み, #六本木, #カクテル, #バーテンダー, #このバーの片隅で, 【エッセイ賞】, #バー小説, #ハートフル
総文字数
14,948文字
公開日
2020年05月04日 02:26
最終更新日
2020年05月04日 02:44
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