秋彦は作者京極夏彦なのか/蘊蓄は人格を持つ

文字数 2,191文字

京極堂シリーズの登場人物のキャラクター性の強さには定評がある。

映像作品や漫画でも展開しているので、未読の者でも黒衣の陰陽師京極堂こと中禅寺秋彦(ちゅうぜんじあきひこ)という主人公を目にしたことがあるのではないか。

加えて作者近影を目にしたことがある者は、その長い髪と和服姿(そして偉そうな出で立ち)に京極堂と京極夏彦の相似を覚えるだろう。

本シリーズの主観視点、関口巽(せきぐちたつみ)といって気弱な人物が、中禅寺秋彦の姿を一層際立たせる。

もう一人の印象的なレギュラーキャラクターとして、破天荒超人美青年の榎木津礼二郎(えのきづれいじろう)が存在する。
この作品を最もポップにしている、唯一のオカルト的存在である。

美青年超人榎木津の登場は物語のどんな膠着状態も打ち砕いてしまうのだから、作品の後期ではその利用法に横暴感を禁じ得ないが、彼は外伝の主人公としても活躍している。

中禅寺秋彦、関口巽、榎木津礼二郎の3人の描写を見れば、彼らは計算し創造されたキャラクターではなく、作者から産まれ出た魂を持つものだと確信できるだろう。

作者そっくりの京極堂、中禅寺秋彦は作者自身が実現した自分像、しかし作者が最もなりたいと望んでいるのは実のところ超人榎木津礼二郎であろう。恐らくそれが、巻を追う度に増してゆく、あのキャラクターの異質さの正体である。

そして弱気な主観視点、関口巽も作者自身である。彼だけではない。関口巽は、人間総ての中に居る。

「自己肯定感や自信などという物は、所詮幻想以外の何物でもないなのだよ、関口君。それらを取り去って、部屋の隅で震える人間を作り出すのは靴を脱ぐよりも簡単なことだ」

そんなセリフは出て来ないが、京極堂ならばそう言うだろう。どれだけ文中で弄られようが、無様であろうが、関口巽は総ての人間そのものなのである。

私が本シリーズを始めて開いたのは、丁度そんな風に自尊心と自信の総てが取り払われ、部屋の隅で震えていた時分だった。

異常な存在感の書影に興味があった。仕事もしておらず、通勤中に読むわけではなかったので、その重量も怖くはなかった。

私自身は本来電書派であるが、最重量級の書籍であるからこそ、紙で制覇したい衝動に駆られた。
あんなに重く厚いのに、どこまで読んだか質量としてわからないなんて、電書で読むことこそ恐怖である。

それから、書籍のページ一杯に文が収まり、ページ捲りの途中で文を切らさないという著者の拘り。
それを知った時にはゾッとしたが、実際読み返したり思い返したりすると、確かに綺麗である。

重量級の本を寝転びながら好きなだけ読む。社会と断絶した人間だけに許される優越感。

ドロップアウト中の人間に最適な本として薦めたい。

そして10代の自分に出会うことが叶うなら、これを読めと腕に押し込めたい本の1つである。

「こういうのが大好き」な少年少女は少なくないだろう。

「京極堂シリーズは蘊蓄(うんちく)が凄まじい」

良くも悪くもそう言われるが、本作品を読んで気付かされたことがある。

蘊蓄は、人格となる。

関口巽が、総ての人の持つコンプレックスなら、京極堂中禅寺秋彦は、人格を持った蘊蓄である。

正しくは、蘊蓄とはああいった顔をしているのだ。

気軽に共有もできず進学にも役に立たない、含め蓄えた雑学は、人を孤独にする。

人は、蘊蓄の量だけ、胸に京極堂を座らせている。
彼は孤独にずっと待っている。蘊蓄を口から零すことのできる友人を。

本作品の途方も無い雑学量を目の当たりにした時、心配になった。会社経営をしながらこれだけの量を書いて出さずにいられなかった作者を思った。

大量の原稿を書かずにいられなかったその孤独に。

知識を含み蓄えてしまうだけで、それ自体が自己の中の1つの人格となり、共有のできない日々に不腐れ、ニアミスすればそんなこと知ってるよと顔を歪め、聴き手が現れ喜び勇み開く口は御大層だ。

それが、蘊蓄を貯めがちな我らに宿る京極堂だ。

蘊蓄そのものである京極堂というキャラクターに命を吹き込んだ時、物語が動き出す。

それは友に会いに行く物語だ。

学生時代、自己の中の蘊蓄野郎を隠し、お茶目を気取っている場合ではなかった。

関口巽が京極堂を訪ねるように、友達を探しに行かなければならなかった。
胸の京極堂に、友を与えねばならなかった。

かくして遅いながらもそのことに気付くことが出来た私は、本気の蘊蓄を聴いてくれる、語り合える友人を大切にした。
そのためには自分が語らなければわからない。私は臆さずに蘊蓄を語る人間となった。

気付くととても楽しい顔触れの中に居た。それはまるで中禅寺秋彦、関口巽、榎木津礼二郎のように、何やら物語が始まりそうな顔触れだ。

漫画やアニメからでも、電子書籍でも良い。

私に友達を作ったこの本を、読んで欲しい。

今が夏なら、第一作目を読むのにピッタリだ。
夏の暑さがリアルな舞台装置となり忘れられない季節になるだろう。

今が夏以外の季節なら、第一作目を読むのにピッタリだ。次に来る夏を、ゾクゾクしながら味わうことが出来るだろう。

とにかく短い人生に一刻も早く、必要な友を与えるこの本を読んでみて欲しい。



(了)
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