38)ヒスイのものづくり史(2)弥生時代、出雲と高志

文字数 2,109文字

 渟名河(ぬなかは)(そこ)なる玉 求めて 得まし玉かも 拾ひて 得まし玉かも (あたら)しき君が ()ゆらく()しも(万葉集、巻十三-三二四七、作者未詳)
 『ぬなかわの底の玉のように若くて美しい貴女に出会ったけれど、やがて、老いてゆくのはなんとも惜しいことだ』と詠われた渟名河は『底なる玉』が採れる川ということで、現在の糸魚川(いといがわ)市の姫川(ひめかわ)を指すと考えられます。(写真:姫川。ヒスイ探しの最適地)

 深い地中の高温・超高圧で生成される硬玉(こうぎょく)ヒスイ(jade/ジェイド)は、地殻プレート運動で地中深くから運び上げられる条件が必要で、世界でも限られた場所でしか採れない鉱物ですが、中でもフォッサマグナに至近の糸魚川の姫川と青海川(おうみがわ)流域の産は質量ともにトップクラス。(アジアの採取地は他にミャンマー)

 糸魚川の姫川・青海川の一帯を含む

の広い地域に、古代の高志(こうし)国(古志(こし)国)のヌナカワヒメ(沼河比売、奴奈川姫など)の伝承が多く残されています。


 出雲風土記(いずもふどき)古事記(こじき)には、出雲のオオクニヌシ(八千矛(やちほこ))が求婚し高志(こうし)のヌナカワヒメと結ばれた話のほか、ヌナカワヒメの伝承地一帯には、二人の間に生まれた子がタケミナカタ(建御名方)で、長じて諏訪湖周辺に進出して開拓し、諏訪神(すわのかみ)として諏訪大社に(まつ)られていると伝えられています。(ヌナカワヒメと婚姻したのは出雲の事代主(ことしろぬし)(スクナヒコ)という出雲伝承もあります)

 ここまでなら伝承・神話に過ぎず、史実としての信ぴょう性に疑問が残るところでした。
 しかし事実は小説もよりも奇。糸魚川の出身で、長者ヶ原(ちょうじゃがはら)遺跡の発掘・調査に携わった文学者・詩人の相馬御風(そうまぎょふう)氏(1883~1950)が『古事記や出雲風土記に登場するヌナカワヒメの持つヒスイは糸魚川産ではないか?』と考え始めてから古代史のひとつの謎が解けてゆきます。(写真:相馬御風 長者ヶ原(ちょうじゃがはら)考古館資料より。童謡「かたつむり」「春よこい」、早稲田大学の「都の西北」を作詞)


 糸魚川でヒスイが採れるという事実は

、当時の考古学では遺跡や古墳から出土するヒスイは大陸からの輸入という考え方を前提(定説)にしており、相馬説を素人の言として無視していました。しかし、相馬説を聞きつけた東北大学の鉱物学者・河野義礼(かわのよしのり)氏が姫川源流の小滝川(こたきがわ)で大規模なヒスイ鉱脈を発見、相馬説が正しかったことを証明したのです。
 この経緯により、特に東~北日本の縄文遺跡から出土する大珠(たいじゅ)小珠(しょうじゅ)の由来の解釈も変わり、今に至る日本オリジナルの縄文文化考察への貴重な転換点となりました。余談ですが、後に糸魚川周辺地域を調べて、家庭の庭石(にわいし)漬物石(つけものいし)から相当量のヒスイが発見されることになります。

 相馬説が正しかったということは、オオクニヌシとヌナカワヒメの婚姻譚(こんいんたん)は、古代の出雲と高志のクニの間に姻戚関係があったことの傍証になります。

 出雲 玉造(たまつくり)はそのこん跡のひとつと言えます。前章で紹介した通り、 玉作(たまつくり)には長期間の技術の蓄積と継承をバックボーンとした技術者集団の存在が必須条件ですから、これらの集団が糸魚川から出雲に移動した以外に考えられません。(紀元前400年前後か。詳しくは不明)
 ただ糸魚川の集団は、新潟県上越(じょうえつ)市・妙高(みょうこう)市の斐太(ひだ)遺跡群(吹上(ふきあげ)斐太(ひだ)釜蓋(かまぶた))にも移動しており、すべてが出雲に移動したということではなさそうです。(紀元前200年ごろ)
 このような(たくみ)集団の分散、および、産地と加工地の遠隔化が、糸魚川ヒスイが忘れ去られる要因となった可能性があります。(写真:斐太遺跡群の時期。青文字はヒスイ加工が確実な遺跡。釜蓋遺跡ガイダンス館)

 (写真:釜蓋遺跡ガイダンス館から吹上・斐太方面)


 硬玉ヒスイを意味する『渟名(ぬな)』という名は、記紀(きき)において、地名や人名としてところどころにあらわれますが、最も古いのは古事記・日本書紀共通で、アマテラスとスサノオの誓約(うけい)の勝負のシーンです。(誓約は占いという意味もあります)
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 父神のイザナギに放逐(ほうちく)されたスサノオは、()の国(黄泉(よみ)の国)に行く前に姉神(あねがみ)が治める高天原(たかまがはら)に向かった時、山川(さんせん)響動(きょうどう)、国土が震動し、驚いたアマテラスが武装して立ちはだかる。スサノオは誤解を解こうと、自分が持つ剣を渡すかわりに、アマテラスが頭に巻いていた玉を受け取り、それぞれが天渟名井(古事記は天眞名井(あめのまない))の水で(すす)ぎ噛んで吹き出した時、その息の霧から宗像三女神と男神五柱が生まれた
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 この文脈において天渟名井(あまのぬない)は『清らかな(すす)ぎの聖水』として、神産(かみう)みに作用するという最高レベルの霊験として表現されています。
 記紀が書かれた時代より以前、(あな)穿(うが)たれた硬玉(こうぎょく)ヒスイは、あの世とこの世の往来つまり再生(御荒(みあ)れ・御生(みあ)れ)、さらには、神産みに作用する神聖な物として認識されていたように思われます。たとえば、井戸や水源地に触れさせ、水を浄化する働きなど、いわゆる特別な水-種水(たねみず)産湯(うぶゆ)-を生じるものとして崇拝されていた。。。真名井という地名や場所(滝や泉)が出雲地方を始め、全国の神社の境内や付近、水源地に多く存在するのはそういう理由かも知れません。
(写真:宮崎・高千穂峡(たかちほきょう)真名井(まない)の滝、ACより)
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