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作者ブックマーク

活動報告

越えられない「喪失」がないなら小説なんて書かない。

『公募ガイド』1月号(今月発売中)の特集が、「完全保存版 構造を知らなければ長編小説は書けない!」でした。
つい買って(笑)読んでいたら、またこんなことが書いてあります。
「物語の方程式は『欠如で始まり、それが回復することで終わる』となる」(013ページ)
「物語ではまず欠如、加害、不足のマイナス状態が提示され、それを回復させようとするところにストーリー展開がある」(017ページ)

本当に、自分で小説を書かない人のレシピだなと思いました。

私の小説なんて、みんな「欠如」を書いたおはなしです。
「回復」なんてしません。
自分の中に、どうしようもない「欠如」や「喪失」を抱えていなかったら、はじめから文章なんて書きません。

私の小説……
『オフィーリア・ノート』もそう。『レディ・マクベス・ノート』もそう。
『ジークフリート・ノート』だけはハッピーエンドだけど、主人公はどうしても埋められない痛みをずっとかかえています。
『沈める町』も。訳している『闇の左手』も。あれが燦然たる「喪失」の物語でなければ何なんだ。
『さわり』も。『夢百夜』も。
お気楽コメディの体裁をとっている『ダブルダブル』も、『今日の彼、明日のあたし』も。

埋められない欠如や、乗り越えられない喪失があって、
それでも生きていかなくちゃいけないから、
人は小説を書くんだし、読むんじゃないのでしょうか。
書くことと読むことによって……
なんとか生きていこうとするんじゃないのでしょうか。

このノベルデイズに集っている人はみんな――少なくともほとんど全員が――そうなのではないのかな。

小説でいちばん大切なものの一つに「失われたものを愛おしむ気もち」があると、私は思っています。
せっかくだから来年そんな創作ノートをまた書いてみようかなと思いました。
小説そのものを書いたほうがいいとは思いますけど。笑

2021年 12月26日 (日) 22:29|コメント(0)

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