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作者ブックマーク

活動報告

旧版『地の文、「私」で書くか「彼女」で書くか』にいただいたファンレターをこちらに保存しました

皆さま、ありがとうございました!^^

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◆七 突兵 様より
人称について、浅学ながら一言。

自分が読んできた多くの小説は三人称でした。吉川英治先生の宮本武蔵も、津本陽先生の塚原卜伝十二番勝負も、栗本薫先生のグインサーガも。古いと思われるかもしれませんが、皆大衆受けした作品です。三人称は客観性を担保できる書き方だと思います。一人称の場合、語り手が衝撃を受けたり混乱している状態で、冷静な状況描写なんておかしいですよね。三人称のほうが状況描写は書きやすいし、読者にも分かりやすい。江戸時代の講談なんかも三人称ですよね。それと、情報量の少ない人物では、語り手を担えないとか全然なくて、会話によって書いてゆけばいいわけです。たとえば、普通の女子高生が、伝統工芸や伝統芸能の世界に、偶然足を踏み入れて、素人らしい素朴な疑問を、その道の大家や職人にぶつけて、彼らのレクチャーで、読者も語り手とともに、情報を得ていくというやりかたです。長くなりましたので、このへんで失礼します。

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コメントありがとうございます! そうですそうです、そのとおりです。情報量の少ない語り手の場合、他の登場人物から教えてもらう、という手法について、いまから書こうとしていたのです。先に書かれてしまいました(笑)。
ただしですね、そういう知識っていっぺん聞いたくらいでは消化できないんですね。だから、
1、教えてくれるキャラクターの台詞として入れ込むのはいいけど、
2、教えてもらったばかりの語り手が、地の文でペラペラ解説するのは無理がある、
のですが、そこを気をつけないと語り手自身に語らせてしまうんですよ。
そして、
3、そんなに語るんなら、もうその詳しいキャラクターが語り手でよくないか?
と読者に思わせてしまったら失敗なので。新しいことを知って驚いたり感激したり怖がったり、つまりは、無知な語り手の女子高生なら女子高生をしっかり描いて、そこに読者をシンクロさせないとダメなんです。
ちなみに、ハードボイルドの代表であるチャンドラーのフィリップ・マーロウは一人称ですよね。クールな語り手なら一人称小説もクールにできますよ。そこは書き手の個性と力量にかかってくるんだけど、まだ大雑把な話ですみません(^-^)


◆唐乃 楓 様より
思わず「走れメロス」を手に取りました

いつも創作論シリーズで勉強させていただいております! 本屋さんに行った時、走れメロスを手に取ってしまいました。あの王様って最後、しれっと仲間に加わっていますね(笑)。さておき、いざ、自分で書くようになるまでは、人称の違いや、視点など気にしたことがなかったのですが、これって、とても奥が深く、作り手ならではの楽しさを感じられる部分ですね。自分の小説は主人公寄りの三人称(一元視点)で、いいのかどうか、回想場面などでは、少し引いてみたりと工夫をしています。あと、人物Aが「走っている」と「走っていく」の違いだけでも、距離感を演出できることにようやく気がついた程度です……。なんだか恥ずかしくなってきたので、これにて失礼いたします。

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コメントありがとうございます! 嬉しいです。そうそう、あの王さま「わしも仲間に入れてくれないか」ってね。なあんだ、ぼっちのこじらせかまってちゃんだったんだというね(笑)。楽しいお話ですよね。
そうです「走っている」と「走っていく」「走ってくる」の使い分けだけで、読む側の惹きつけられかたがぜんぜん変わってきちゃいますよね。推敲が嫌いって方がいたりするけど、自分の読者になって読んでみて、読者攻略のポイントを見つけて改善して精度を上げていくの、すごく楽しいと思うんですよ。三人称は、主人公寄りの一元視点を貫くのが、読者に親切だと私は思います。せいぜい主人公と副主人公の二人か、三人くらいまでにしぼっておいたほうがいい。他の人の気持ちは、かんたんに知らされるより、主人公といっしょにああでもないこうでもないと想像したほうがいい。全部書いてもいいのですが、それだと小説というより、アニメのシナリオになってしまう気がします。これからもお互い、がんばりましょう、じゃなくて、エンジョイしましょうね!(^-^)/


◆不二原 光菓 様より
気長に待ちます

アーシュラ・K・ル=グウィン さんの小説の書き方本のご紹介ありがとうございました。今はちょっとお金がないけど、少し余裕が出たら買おうと思います。
翻訳って、ある意味作者に憑依しないといけなくて、一言一句の選定にも気力が必要な作業だと思います。ゆーーーーーーーーーっくり待っています。くれぐれもご自愛ください。

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わあ、ありがとうございます! そうなんですよ、気軽にポチるにはちょっと高くて私もつい図書館にエントリーを……でもご報告のために私が買えってやつですね! いましばーーーーーしお待ちくださいませ!<(_ _)>


◆不二原 光菓 様より
すごいっ、すごいっ!

 『☆NEW!☆ 参考にした「小説の書きかた本」の翻訳の冒頭を読んでみました』を読んでみました。
 大興奮です。
 The artか、artsかなんて考えたこともありませんでした。先日も人とお話ししているときに「外国語の嫌いなところは名刺に男女中性があったり、単数複数があるところ。必要なら数詞をつければいいことで必要無いじゃん。面倒くさい」と罵倒したのですが(学生時代よくaとかsを抜かして×を付けられた苦い思い出あり)複数か単数って重要なんですね! whileの使い方も、これがピンと来るのは沢山読み込まれて、もう脳に英語が染みついている方ならではですよね。翻訳って、文法を解析しデーターも利用しながら、作者の意図を汲む、推理、ある意味理数系の作業ですね。
 英語ができない私ですが、ル=グウィンさんの原文は、文章が平易(私でもわかる単語が多い)滑らかでキラリとした印象があります。作品もこういう文体なのかなあ。原語で読める方が本当にうらやましい。もっと英語勉強しとけば良かった……、単語覚えるのが嫌いだったんです(泣)感動しました~~!
 ル=グウィンさんの本は、ちょっと考えてどうするか決めます。ファンとしては欲しいのですが。(サキダツモノガ……)

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うわあありがとうございます! じつはついいろいろ書いちゃって、せっかく出た本のあげ足を取る感じになっちゃって、しょんぼりして、消そうかと思ってたんです。こんなご感想をいただけるとは!(感涙)
身にしみついているというほどには勉強してないのですが(恥)、なんというか、いま訳している文章と一対一で向き合うだけじゃだめという気がするんです。そうじゃなくて、いろんな他の文章の声たちが頭上や背後からのぞきこんできていて、そういう人がふいに教えてくれることがあるんですね。「そこはこうだろう」って。
同じ体験は他にもあって、例えば『ハムレット名場面集』の第五幕第一場の末尾に書いたのですけど、なぜ突然ヘラクレスが出てくるのか、既存の訳はみんなごまかしてらっしゃるんですよね。だけど、なぜか私、見たら「いやこれはこうだろう」というのがすっとわかって、本当に肩越しに誰か教えてくれた感じだったんです。考えて思い出せるものじゃないです。
こう書くとオカルトみたいですが(笑)、不二原さんのおっしゃるとおり、むしろコンピューターの接続みたいな。アルゴリズムというやつでしょうか? そんな体感があります。

じつは私、語彙はものすごく少なくて、毎回辞書と首っ引きなんですよ。ボキャ貧の自覚があるから、辞書を必死で引くし、引いたら項目の先頭だけじゃなく最後まで読むんです。語彙も読書量も私より多い人なんてたくさんいます。たぶん、私のとりえは、「耳をすます」能力なんだと思います。だからすごく体力使うんですよ。訳が自分のなかで「通った」ときはすーっとして、報われるんですけどね……^^
読んでくださって本当にありがとうございます(^-^)/

2022年 05月02日 (月) 23:54|コメント(0)

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