mika (ID:mikafone)

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活動報告

わかりやすい献金の話とキリスト教系新宗教の話

『有機交流電燈 アーカイブ』に、統一教会とその分派であるサンクチュアリ教会についての雑談を2話追加しました。

①いま見ておくべきドキュメンタリー(わかりやすい献金の話)
②キリスト教とキリスト教系新宗教はどう違うの?

最近の事件をきっかけに、A&E制作のドキュメンタリー『カルト集団と過激な信仰』を見たので、その内容の簡単なまとめと、個人的な感想を書きました。
今回の話題を取り上げた一番の理由は、破産するほど献金しなくていいんだよ、とお伝えしたかったからです。
統一教会は聖書を語っているので、献金の話も旧約聖書と新約聖書を根拠に書きました。

「十分の一」というのは、古代メソポタミア地域で一般的な税率だったそうです。
江戸時代は「五公五民」(江戸初期は四公六民)だったそうなので、近世日本の方が税率が圧倒的に高いですね。
それぞれの事情により「十分の一献金」を守れないかたに、無理に守らなくていいんだよ、とお伝えすることは今までにもありました。
しかし、自発的に多くささげるのを思いとどまらせるのは、説得が難しいことだと思います。

金額の多寡に応じて来世的幸福が約束される、と信じているのなら、自分の幸福追求のために身の丈を超えて献金をすることもありえるでしょう。
自己救済の道と信じている土地・財産の寄進を、家族によって妨害されたり、寄進した資産を取り戻すよう言われたら、自己救済のさまたげとなるきずなを全て断ち切りたいと思ってしまうのも、理解できるところです。
これは統一教会にかぎった話ではなく、お金を払えば払うほど救済される、というシステムの宗教すべてにあてはまる構図です。

タイの貧農に生まれ、スラムで育ったウィモン・サイニムヌアンが書いた小説『蛇』には、現在の貧しさからなんとか脱出したいがために、身の丈を超えた寺への寄進、僧侶への奉仕を続けて、ますます貧困状態をひどくしていく農家の女性が描かれていて、読んでいて衝撃を受けたのでした。
「功徳を積むこと」は、積極的な幸福追求のための行為です。しかし、功徳=寺に寄進すること、という考えにとらわれてしまうと、苦しいものになってしまうのだな、と思います。

とは言え、献金をしすぎて破産する信者ばかりだったら、そのような教えの宗教はいずれ信者がいなくなり、自然消滅してしまうでしょう。
例えば、シェーカーは極端な禁欲、独身主義の教義だったので、第一世代の信者が亡くなった後は子孫への信仰継承がないので、自然消滅して、いまは博物館しか残っていません。
聖書に「十分の一」と具体的に定められているのは、持続可能な宗教であるために必要不可欠な要素なのかも、と思いました。

2022年 07月28日 (木) 13:18|コメント(0)

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