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僧頭の鷲10話 禅問答あれこれ(と、蒟蒻問答)

 僧頭の鷲、第10話は禅問答の回です。
 ああ、もちろんこのSFで出てくる宗教は皆架空のものなので、現存する宗教とは全く関係ありません。(念のため)

 この話を書く前に、いろいろと禅問答について読んでみました。

 有名なものには「両手でたたくと音が出る。それでは片手ではどんな音がでるのか(隻手音声)」という白陰禅師の公案(禅の究明をする問題)があります。解釈は人それぞれでしょうが、一つに耳で聞くという常識にこだわらず音なき音を聞けという意味が込められているらしいです。
 また、無門関という禅書の古典では慧能(えのう)禅師が風に揺れる旗を見て「旗が動いている」「いや、風が動いている」と言い争う二人に対し「あなたたちの心が動いている」と答える話が出てきます。

 難しいですが、これらはまだなんとなく理解できます。

 しかし、いにしえの禅問答には私の頭では???しか付かないものも多くあります。
 同じく無門関からですが迦葉(かしょう)というお釈迦様の後を継いだ尊者が阿難という弟子から問われます。
「お釈迦様はあなたに金襴の袈裟以外に何をお伝えになりましたか?」
「阿難」
「はい」
「行って門前の旗竿を倒してきなさい」
 ????です。
 解説を読んでみれば、「はい」と素直な返事をしたので、その心が大切なんだよ、もう後を譲れるね。(旗竿を倒すにはもう君がその境地に達したからには自分は説法をしないという意味があるようです)という意味らしいのですが。解説を読まないと何のことやらわかりません。正直、最初読んだとき「はい」は読み飛ばしてました、自分……。
 解説を読んでもよくわからないものは星の数ほどあります。

 そのほか
「仏の身体はなんでしょう」 「乾いた糞だ」
「仏とは」 「三斤の麻布だ」
「清浄法身(清らかな心)とは」 「目玉いっぱいのホコリ」
 きれいなところでは「満開の芍薬の花だ」
 ……凡人には、言ったもん勝ちですか? になるのですがそれぞれ深い意味があるようです。

 荒技系では、質問した人の口を手で塞いでしまうとか。
 拒否っているものには、川が逆流したら、もしくは、川の水を飲み干したら教えてあげるよとか。
 でも、何よりすごいのは、それで質問側がはっと悟ってしまっていること。
 な、ん、で、そ、れ、で、わ、か、る、の、っ???

 つっこんだり、考え込んだり。禅問答は難しいけど、なんかはまってしまいます。
 
 あ、禅問答に関して「蒟蒻問答」(こんにゃくもんどう)という面白い落語があります。
 これはジェスチャーが落ちなので興味のある方には是非是非(世間の状況が落ち着けば)寄席に見に行っていただきたい。
 まんまと禅寺のニセ和尚におさまった八公のところに禅僧がやってきて問答を仕掛ける、八公の代わりに蒟蒻屋の六兵衛さんが問答に立ち向かうが……という話です。私は前知識なしに「絶対面白いから。これは寄席でしか楽しめない落語」と言われて見に行きました。春風亭一之輔さんの高座でしたが、もう、その朗々とした声に載って語られるドラマチックな展開と、爆笑のオチに魂を持って行かれ、落語が大好きになったのでした。
 禅問答に興味が無い方も、「蒟蒻問答」はおすすめですよ。


参考にした本
石井 清純 禅問答入門 (角川選書)
秋月龍珉 無門関を読む 
石井恭二 正法目蔵Ⅰ

 

2021年 01月31日 (日) 11:56|コメント(0)

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