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活動報告

聖書エッセイコンテスト参加作品『燃える炭火』

私は無宗教の人間です。聖書に関して、みなさまのような専門知識が皆無です。
こんな私が聖書にまつわるエッセイなどおこがましいとは思い、何度も躊躇しました。
ただ、聖書の言葉に助けられたのは事実なので、それで思い切って(勇気を出して)書きました。

1200字以内なのでお時間のあるときにでも、サラッと目を通していただけると嬉しいです。
よろしくお願いいたします。

2022年 10月14日 (金) 23:03|コメント(8)

佐久田さん、こんにちは。
1000文字ちょっとの文章とは思えないほど、深く心に沁み入るエッセイでした。
「燃える炭火」という言葉から、わたしもはじめは佐久田さんと同じような解釈をしました。あまりにも印象に残る言葉なので、検索していろいろな方の解釈を読んでみましたが、そのなかでもわたしがもっともしっくりきたのは、
「精練純化すること。相手の不純物を取り除くこと」
という意味の言葉でした。

佐久田さんのおっしゃるように「悪に悪で応戦しないこと」、怒りやマイナスの感情にとらわれて相手と同じ土俵に立たないことがすごく大事なのですよね。
どうしても「目には目を」といいたくなってしまいますが、その憎しみの連鎖に取り込まれないようギリギリで思いとどまるための、救いの言葉だと感じます。

理不尽な目に遭われた佐久田さんが「こんなことで人生を損ないたくない」と思われたこと、そしてこの言葉にたどり着かれ、こうしてわたしたちに教えてくださったことに、共感と感謝の気持ちでいっぱいです。
「報復は神の仕事」という言葉とともに、わたしの心の支えになること間違いなしです。ありがとうございます(*´ω`*)

……これは書こうかどうしようか迷ったのですが、どうしようもないような悪の存在が視界に入ってくるたび、わたしの頭に浮かんでくるのは、かつて山口県で起きた「光市母子殺害事件」という凄惨な事件のことです。
胸の悪くなるような事件で、犯人に対して1ミリも同情する気も起きないのですが、裁判での弁護側の呆れた言い分がそれにさらに拍車をかけるようなありさまで。
被害者のお二方の遺族、夫であり父親であった男性の対応が、なんというか、とてもまっとうで、本当なら犯人を私刑にしてやりたいでしょうに(当初はそういう発言もされていました)、それをぐっと堪えて、法に則り、法に裁きを委ねられた姿勢に非常に心を打たれました。

悪を許すことなど到底できないけれど、相手を憎んで自らも同じ場所に堕ちるのではなく、理性を保って正当な手段で闘い続けること、その途方もない自制心と労力を思うと、言葉を失うほどです。

ともすれば、まっとうなひとはひたすら損をしているように見えるけれど、きっと人知れず人間としての徳を積んで魂を磨いているのだろうなと、わたしは思います。
長々とすみません(>_<")
桐乃さん、稚拙な文章を読んでいただき、勇気づけられるお手紙をありがとうございます。
最近自信が無くファンレター欄を閉じているため、お手間を取らせてしまったようで恐縮です。(汗)
偉そうなことを書きましたが、実際のところ、日々、揺らぎ惑っている自分です。
私は桐乃さんの凛とした生きる佇まいと優しさから学ぶことが多いので、お礼を言うのは私の方というか。本当に。

「邪悪」というものを思う時、想起される事件がいくつかあり、「光市母子殺害事件」はそのうちの一つです。最初事件を聞いたとき、加害者には下劣な悪魔が乗り移っていたのではないかとさえ感じました。
それにどう見ても責任能力があるのに、心神耗弱で逃げようとする卑劣さが許せませんでした。弁護側の言い分も。
あ、加害者は死刑確定者だけど、まだ収監されていて存命なんですね。
そして、被害者の夫であり父親の方が、背負ったものの壮絶さは筆舌に尽くしがたく。私もその姿勢、戦い方に非常に心を打たれました。確かに、悪に負けることなく、善でもって悪に立ち向かっている生き様ですね。

話は脱線してしまうのですが、こういった凶悪犯罪者の手記を出版したり、テロリストにインタビューを行ったり、最近では安倍元総理銃撃の山上容疑者の映画を製作したりするような、犯罪者・テロを礼賛するような行為は、(表現の自由とは言え)廃れて欲しいと思います。

桐乃さんが書いてくださった解釈は、字数制限(1,200字)で泣く泣く端折った部分だったので、補足していただいたようで大感謝です!
最後の一文は本当に胸に沁みました……これ、真理ですよね。
重ね重ねありがとうございました!(^^)/
初めまして。
佐藤子冬と申します。
佐久田先生の『燃える炭火』を拝読させて頂きました。
お辛いのですね。
職場で苛めにあうのは自分も昔ありました。怒鳴られたこともありました。
あなた様の苦しみが一人でも多くの方々に分かち合えれば良いかと思います。
佐久田先生は立派だと思います。聖書の言葉を実践して行われていますね。
その結果、先輩の意志を変えつつあるのは善い行いです。
普通は憎んだり、避けたりするのを止めるのは難しいです。善を以てして悪を打ち倒すのは信仰のあるなし関係なく神の御業を行われている証明です。
佐久田先生は勇気がある方だと思います。
苛めはとても辛いものです。人の心を壊してしまいかねないです。
佐久田先生に今必要なのは休んだり、何か趣味に没頭出来る時間が必要かと感じます。ありきたりな言葉で申し訳ないのですが。
返信は無理してしなくて大丈夫です。それより御身をお大事になされて下さいませ。
佐藤先生はじめまして。
先生と呼ばれたのは初めてで緊張しています。私も佐藤先生と呼ばせていただきます。
聖書エッセイを書くにあたり、佐藤先生をはじめ、みなさまの作品を拝読し、膨大な知識量とその深遠な覚悟に感服しました。私は聖書に対する専門知識ゼロの未熟者、そして勇気などない小心者なので……

優しい言葉をありがとうございます。ありがたいことに事態は好転しました。
でもいじめられている最中は、その人のことで頭がいっぱいになり平常心ではいられなかったのが辛かったです。平常心を取り戻そうとしたときに、聖書の言葉が助けになりました。

私はいつも佐藤先生の活動報告を拝読しています。お祈りの言葉を読むと、胸が温かくなるのです。
いつもありがとうございます。お礼が言えてよかったです。
夜分失礼致します。
コメント、ありがとうございます。
人は誰もが賜物を授かって生きています。佐久田先生の仰る通り社会では役に立たない賜物もあるかも知れません。
ですが、苦しみを経た優しさは誰かの命を救うと思います。
自分も今日救われたのです。佐久田先生がいつも活動報告をお読み下さることに救われたのです。自分は書いていてどの位の人がお読み下さるのか判りません。だからこそ、佐久田先生がお読み下さることに自分の救いもありました。
そう考えれば、佐久田先生は今日一人の人間の悩みを大きく解消して下さったのです。
確かに世の中には苦しい方々は沢山います。自分の悩みなんかと思ってしまう時はしばしばあります。
ですが、あらゆる方々が悩むのだと感じます。一見、苦労がなさそうなお金持ちの方々だって悩みます。
人は各々苦しみがあります。
佐久田先生の苦しみは別に小さく見る必要はないと思います。
自分達は人です。どうあがいても主観から逃れられないのです。佐久田先生御自身は御自分の悩みを小さく見えるかも知れませんが、逆に自分から見るととても大きな悩みに見えます。
そこに立ち向かうのはとても勇気がいる様に自分は感じます。自分でしたら間違いなく逃げているでしょう。
だからこそ、佐久田先生を勇気のある方だと思いました。
長々と失礼致しました。
佐久田先生も返信は無理なく無理なくです。
佐藤先生、ありがとうございます。
苦しみを「小さく見る必要はない」というのは、生まれて初めて言われた言葉です。
自分自身を肯定してもいいんだと、ハッとする気づきがあり温かな気持ちになりました。
佐藤先生にかけていただいた言葉は、大切にゆっくり考えたいと思います。

佐藤先生の活動報告は、いつも誠実で慈愛に満ちていて、読まれている方はたくさんいると思いますよ!
佐藤先生も無理なく、お身体をご自愛ください。(^^)/
佐久田さん、こんにちは。『燃える炭火』を拝読しました。
この短い字数の中に、ご自分のお気持ちと聖書の言葉、その後の心情の変化を書いておられて、お手本にしたい見事なエッセイでした!

「燃える炭火を彼の頭に積むことになる」という言葉、新約の『ローマの信徒への手紙』にあるのですね。(もとは旧約の『箴言』25章21-22節の引用)
この聖書箇所に今まで一度も注目したことがなくて、こんな印象的な言葉があったのか、と非常に驚きました。

聖書というのは途方もなく長い年月をかけて編纂され、頁数も膨大ですから、こうして必要としているときにちょうど必要な言葉(刺さる言葉)が見つかるものなのだなぁと、しみじみ思いました。

自分に悪を行う者に対しても、常に善を行うのがキリスト教精神だということを思い出させてくれる言葉ですね。
ただし、実践するのはめちゃくちゃ難しい……。

プロテスタントの礼拝では牧師のメッセージのほかに、時々、信徒が証し(あかし)することがあります。
文字通り、証人、証言の意味です。
牧師のメッセージが聖書の読み解きであるのに対して、証しは自分の体験に基づいてイエス・キリストの愛を伝えるものです。
証しに専門知識など必要ないのです。
佐久田さんが書かれたエッセイは、まさに「証し」だなと思いました。

佐久田さん、すばらしい言葉を分かち合ってくださり、どうもありがとうございます!
mikaさん、過分なお言葉、ありがとうございます。
「必要な言葉(刺さる言葉)」、本当にその通りですね、聖書は叡智の宝庫と感じています。
「証し」だなんて、恐縮です(汗)
エッセイでは立派なこと書きましたが、日々、感情に左右されてアップダウンの繰り返しです。でも聖書の言葉を「基準点」にして、そこに戻ってくるよう心掛ければよいのかな、なんて思うようになりました。
私はmikaさんから教えていただくことばかり、いつも感謝しています。

【追伸】
プロットの『未希と黒い馬の森』大好きです!! 私、若い子がひたむきに頑張って成長する話に弱くて(年だから?)、ラストは胸が熱くなりました。ドラマにして欲しい……。ああ、伝えらえてよかった……。

それから、今月終わりにまた入院されると拝見しました。くれぐれもご無理なさらぬよう。
mikaさんファンとして、一日も早いご快癒をお祈りいたします。